タイトルとサムネ画像で、勘違いをさせてしまいましたら申し訳ございません。
この通り、うちの子は半目で寝ております。
どうして、このようなタイトルにしたかと言いますと、以前書きましたこちら。
ここで、冒頭にこのように述べました。
いぬ年齢は、おおよそ人間の七倍
私たちの一日は、彼等にとっては一週間
私たちの十年は、彼等にとっては七十年間
https://monkeydog49.com/well-be-happy-and-hug-each-other/ より
私たち人間、いや私は猿か。
私たちと、いぬとでは、
生きる時間が違うわけです。
そして、以前書いた記事を読んでくださった恩師が、このような感想をくださりました。
よくよく考えてみると、ratio(比率・割合)
は少し異なりますが、
私たち、人類は“エルフ”であり、
彼等、動物は“人間”であると例えられる。
『私はもっと、人間を知ろうと思う』
という、アニメーションの言葉が、
私たちの生きるこの世界にも、適応される。
K先生
おぉぉぉ・・・
なんと、詩的・・・
ありがとうございます。
言い得て妙。
『』で括った言葉は、先日アニメーションにて放送されておりました、
“葬送のフリーレン”より、主人公、フリーレンが語った言葉であります。
あらすじは割愛いたしますが、長く・“短い”旅を終え、偉大な功績を残した主人公、エルフのフリーレン。あるできごとと、この言葉を皮切りに、新たな旅を再開します。
本HPの心に残った名(迷)言集にも、本作主人公の違う言葉が載せてあります。
「人間の寿命は短いって
わかっていたのに、
なんでもっと知ろうと
思わなかったんだろう。」
フリーレン「葬送のフリーレン」
同じことですね。
恩師が述べた言葉と同じである。
我々と、彼等は生きる時間が違う。
アニメーションにおける物語でも同様に、主人公が過ぎ去った過去を悔やみ、過去と向き合いながら、旅に出る。
共に動物と暮らす人々。
きっと、私と同じように、いつも後悔なく、笑顔で可愛がって生きているのだろうと思う。
それでも、過ぎ去ってしまったとき、必ず後悔というものは残る。
だって、私たちと彼等では、流れていく時間も、この世にとどまることができる時間も、何もかも違うのだから。
今、共に生きることができる時間を大切にしたい。
後悔は絶対、消えないのだから。
まだまだ、元気でいてね。