暴れたがっている

どうしようもないこと
この記事は約3分で読めます。

なんだかムシャクシャします。

「暴れたがっている」by YUKI

そんな、少し気が触れたような、頭がおかしくなったように暴れたいわけではないのですが。

うまく自分の考えや気持ちが言語化できないことが、この結果なんでしょう。

なんだろう、結局思い通りにいかないことや、悔やんでも悔やみきれないこととかを思い出してしまうことなのだろうか。素直な気持ちになれないこと、助けを求められないこと、妬んでしまうこと。

行動に移さないだけマシ、いや違うベクトルで行動に移せばなんだかいい方向に行くのかも?

驚くくらい、素晴らしく、つまらない、美しく、退屈な日々。

環境のせいにしたくなる。自分の責任からのがれたくなる。

ワクワクした思いがない。クエスト的人生でもなんでもない。

具体的なことを述べていないので、読んでいる人を置いてきぼりの、さっぱりワケワカラン内容だと思いますが。

変化がない日々。未来がない日々。つまらない日々。

こんなもんか。

そういう気分なだけだろうか。

このまま朽ちていくのも悪くないだろうか。


こんな記事を見ました。ぜひ、一度読んでほしい。

文章がよければこちらから

「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
日本では、「安楽死」を認める法律や制度はありません。 安楽死の法制化を望む人、それに反対する人、それぞれの思いを取材しました。 ■安楽死が認められていなかったら?「首を吊って死んだかもしれない」


安楽死について語っています。

動画もしくは記事を読んでいただけたらわかりますが、迎田氏は難病を患い、安楽死を望んでいます。
結論として、合法化されているスイスで、自ら死を選んでいます。


様々な議論があると思います。

私の意見としては、昔から考えていることに変わりありません。

多様性の時代である。性別や人種、信仰、障がいなど。ダイバーシティ。

生き方の多様性を認めるのであれば、死に方の多様性も認めるのも筋である、と私は考えてしまいます。

この記事の、彼女の本当の辛さは本人にしかわからない。側から見れば、元気に見え、“たかが“なんて思うかもしれません。

ただ彼女の「人の考えにも人権がある」という言葉と、バルブを開けたら死ぬという説明を受け、何の一秒も迷いなく死を選ぶ姿を見ると、終末と終焉にも多様性が認められることで、救われることもあると考えてしまう。

ただ、それでも現代では、合法化されている国は一部に過ぎない。結局、死の間際であっても、彼の地までいくことが可能な経済的余裕がないと、認められた死が認められない事実。

だから今日も、電車に飛び込む人がいる。


考えや権利を尊重することは何かわからなくなる。

だから、暴れたくなってしまう。

私の寿命をわけてあげるからずっとひなたでねていてくれ

タイトルとURLをコピーしました