うるまとは
「さんごの島」という意味だそうです。
うるま
煙草 うるまのパッケージには、
竜の落とし子
いつか、煙草会社の話を聞いた気がします。
(間違っていたらごめんなさい)
皆さん、ご存知だと思いますが。
エコーやわかば、ゴールデンバット(最近あんまり聞かない?)など、
やっすいジーチャンバーチャンがカーッって吸っているようなたばこがありますよね。
たばこは植物由来なのはご存知かと思いますが、
(どこかで聞いた話だと)JT社(日本たばこ産業)は煙草農家から買収する、“たばこになる植物”は「すべて利用しなければならない」といった法律があった気がします。(たしか)
そのため、メインとなる葉っぱ部分の品質は高い・良いのですが、
それに対して、茎や枯れかかってしまった部位も、
残念ながら使用せざるを得なく、それらは言うまでもなく低品質となるのです。
その、低品質な部分を集めて作った、たばこがエコーやわかば、
そして「うるま」であるのです
つまり、あんまり美味しくないと。
つまり、安いと・・・
うーん。
雑 学!
要らんよな、この情報。
私は今回で二度目の琉球訪問ですが、やはり毎度こちら、うるまにはお世話になります。
だって、ここへ来た感じがするもんね。。。
はてるま
はてるまとは「果てのうるま」という意味だそうです。
つまり、果ての珊瑚の島。
波照間島に来ました。
これも結論を先に載せた方が良いと思い、最南端のシンボルを載せました。
岬の方はこんな感じです。
実は、このトゲトゲ岩で足を取られて、擦りむいてます。
これから行く人はマジで注意してください、危険です。
そうして、石碑の辺りを見回すと・・・
さて、もう一度、石碑について見てみましょう。
いやぁ、最高の景色でした。
なんと、この日の丸の前にある石碑は、1970年にここへ訪れた学生が、アルバイト代で自費建設したそうです。手書きっぽいのはそういうことだそうです。
なんとも面白い。
そして、上の写真、後ろに石垣の通路がありますよね。
動画をどうぞ。
こちらも、逸話があるそうです。
なんと、この通路の石垣でできた遊歩道は米国、アメリカより沖縄返還に際して、
日本全国の都道府県より持ち寄った石を集めてつくられたそうです。
碑の左下に文字が書かれています。
「この碑は 沖縄の祖国への復帰に際し
全国の青年が各地の石を持ち寄り
ここ はてるま の地に
精魂を注いで建設されました
この一つ一つの石がわが国の礎となり
沖縄の新たな出発となることを念じて」
昭和四七年五月一五日
少し長いですが、動画を見ていただいた方はわかると思います。
この遊歩道はとても蛇行しています。これにも意味があるそうです。
「からみあった蛇のような形に
もう二度と戦争によって
内地と離ればなれに
なってしまわないように」
との願いが込められているそうです。
沖縄、いやそれだけでなく日本の本土、いや世界の国々ですね。私が生まれる前の過去、今でもか、それぞれ悲惨で残酷なたたかいが存在し、苦しい思いをしています。悲しい現実に直面し、憤りを覚え、無念にも朽ちていった生物への慰霊がされています。
どうか、平和であってほしい。
波照間島
いやぁ。にしても、海が綺麗ですね…
声を失います。
こちらは、ニシ浜というところです。
それ!もういっちょ!
さて、結論ベースに書き始めてしまったものですから、時系列がハチャメチャになっています。
まず、お昼過ぎごろに波照間島へと到着いたしました。
これもまた、船・フェリーの話で面白い話があるので、今後書きます。
まず、カフェにて一服。
“あとふそこ”は特に意味はないみたいです。こちらの方によくある(?)苗字だそうです。
何を食べたかは、、、今度で・・・
そうして、今回の相棒くんは…(コケたやつ)
いやぁ、乗りやすいマシンですね。
そして後ろに見えるのは。
旧藩時代、琉球王国時代の火番所というところだそうです。海上の監視を行ったり、船の通報のためにのろしを揚げるような見張り番のような高台だそうですね。
というか・・・
おい!?
なにみてンだよ!
上からの景色は素敵でした。
そして走り出すと、こんな掲示板が。
さて
それじゃ、どんどんバイク&風景いきましょう。
ヤギくんは食用だそうです。
普通に襲われましたからね私。
脚を止めずにいきましょう。
そして、走っていると・・・
でら人懐っこいじゃん。
走っていると、昔ながらの集落や…
そして・・・
そして!
個人的に私が面白いと感じたものはこちら↓
これ、アイデアが面白いですよね。
私も少し、発電に関する教材に触れたことがあるため、非常に興味深いです。
語弊を恐れずに申し上げると、風力発電は他の発電方法と比較すると、“相対的に“環境にやさしいと私は考えます。相対的に考えるとですね。
その反面、デメリットもあります。発電量の問題とか、野生動物への影響とか、設置による生態系への問題とか、そのあたりは今回ミソではないので触れませんが・・・
やはり、こういった離島や海沿いですと、台風の影響を直で受けるわけです。その台風により、プロペラの破損などが起こります。
そうなる前に、あらかじめ倒しておき、被害を防ぐ、といった考え方の風力発電です。オモシロイネ。
(倒すコストを踏まえるとどうなんだろうと思いますが、今回は考察しません)
ただ、実際目の前にこの風力発電のプロペラを目の当たりにすると、すごいスケールでしたよ。かっこいい。
さらに行きます。
次にいった場所。
はじめに宿へ向かうバス内で見かけた碑を見に行きました。
実はこの碑を見つけるのに苦労し、マップを見たりする中でコケました・・・
それがこちらです。
血を垂らしながら写真撮ってます。
どうしても、見たかったんです。見るまで帰れないと思ったんです。
前々回ほどの記事で書いたように、本島(波照間島)から、西表島へ、強制疎開が行われ、マラリア感染が起こり、大半の人々が犠牲となった。その犠牲者の中には大人だけでなく、赤子や学童も数多くいた。
そして、この忘勿石を望む丘の向かいに、西表島 忘勿石が立っています。
私、碑文がもう読めませんでした。
たたかいがなかったのに、たたかいで犠牲が生まれる。
これらの史実を語る人は、この一瞬ごとに減っている。記憶の風化が止まらない。しかたないこと。それでも記憶が葬り去られていく事実。
だから、石に刻んで残す。それでも、わたしたちは想像しかできない。
消えていく記憶、消えていく自然、消えていく人たち。
残るモノは何なのか。
この景色も。
私が果てるまで、
残っているだろうか。
波照間編 以上。