遠い日

どうしようもないこと
「遠い日」by RAVE

背中に背負った3.5kg

今僕が持てる唯一の武器さ

あなたを泣かせて

コードを鳴らして

まだ夏を忘れられないでいる

RAVE「遠い日」

逸れてみようと

憧れてたのは

正義のヒーロー

でも、少し違うことがしたくなって

一人になろうと逸れてみようと

ただそれだけで

ここまで来たんだ

RAVE「遠い日」

逸れる。

何から?

何処から?

街行く人は嵌っている?

誰が、逸れている。

私?

それともお前?



始まり自体、大きく異なっている。

産まれ。誕生。環境。空気。宗教。考え。

何が良いとか、悪いとかは知らないけど。

我々は終わりに向かう。

終わりに向かう。

始まり、として終わりに向かう。おわり。

おわりに向かう道中。

そう、道中。

道中なんてもの。

それは当然異なる。

それは、大きく、大きく、肥大化した負債のように異なる。

金属と木材と同じくらい異なる。

音楽と自動車くらい異なる。

鏡と冷蔵庫くらい異なる。

布と銃くらい異なる。



面白いことに。

終わりは、皆須く、等しい。

イコール。

同一。

死。

終わりは来る。

背中に背負った3.5kg

「バカみたいだね」

って言われるかもしれないけど

本当は聞こえているの知っている

だから歌って

RAVE「遠い日」

何を背負って生きているのだろうか。

いや。

これから背負うのだろうか?

違う、もう背負っている人もいる。

家族。家庭。そう。大切なもの?

大切なもの。私にだってある。

家の裏に住んでいたおばあちゃんから貰った、小判。あれは大切にしていたなぁ。錆びて、真っ黒になっていたけれど。今でもこの記事を書いている部屋の机の引き出しにきちんとしまってある。兄から貰ったブレスレット。何故だか、いつかの誕生日に貰った。中学生の頃?気に入ってずっとつけていたら錆びてしまった。思い出や記憶、何ていうと洒落臭い。大切な“モノ”だけで考えてみよう。祖父の遺品の財布。今でも使っている。私の使い方が荒いのか、少しくたびれてしまってきている。財布を綺麗に直してくれるところにお願いしようか。大切に長く使いたいしなぁ。いつか歳を食って、ジジイになったら祖父の眼鏡もレンズを変えて使いたい。そう、昨年から始めた御朱印集め。これがまた興味深い。勿論、参拝が目的であるが。大好きな、いや大好きではないかもしれないが、趣味?と言えるオートバイで集めている御朱印。それと御朱印帳。集め始めて、縁があって最北端と最東端の神社でも参拝することができた。そちらで頂いた御朱印と御朱印帳。これは大切だ。私が死んだときに御朱印帳とともに火葬してもらわなくちゃ。あとはなんだろう。兄から貰ったウルトラマンのタンブラーは日々の生活の中の必需品である。なくては生活できないくらいだ。休職していた時期に職場に置きっぱなしになっていたときは、とても気掛かりだったなあ。何だろうなあ。大切な“モノ”を想像すると、想像以上に過去のものと現在のものが混在している。これは興味深い。忘れちゃいけない。オートバイも大切だ。何千キロの道のりの命を委ねた相棒だ。冗談でも変な扱いをされたら許せない。最北の市町村で出会った高齢者と会話したとき。マシンに名前をつけてはどうだ、なんて会話もあったな。私は手放すつもりは一切ない、いつか増車してもこのマシンは絶対に手放さない。死ぬまでは。思い出補正もかかってきた。モノで考えようか。キーホルダー。大切なものは二つあるな。ひとつは兄がくれた姪っ子の名前が入ったモノ。くだらない、笑える(?)話だが、姪っ子の名前が入っている。いつか私にパートナーができたとき、それを見られたらどう思うか、なんて言われながら貰ったなぁ。もうひとつは山口県に行ったとき、自動販売機的なもので買ったキーホルダー。うどん・ラーメンの絵柄が描かれたものだ。小銭入れにつけている。先日友人に会ったとき、車のキーに同じものをつけていた。もっと普段使いできるものにつけようか。あととても気に入っているもの。ある、漫画。インターネットで見つけた漫画家。決して有名ではないがBoothで購入した漫画。当時のパートナーにも絶対に渡さなかった漫画。好きなものを教え、教えてもらったパートナーにも絶対に貸さなかったもの。あれは大切だ。Boothならではの直筆のお言葉をもらったあの漫画。あれは確かに大切だ。とっても大切。誰にも譲らないし貸さない。目の前であったら見せる。大切な作品。祖父が残した、朽ちたクラシックギターも大切だ。直して、最近は時折弾いているよ。昔の曲を弾いている。いつか。これも形にできたら嬉しいな。こんなに挙げていたらキリがないな。旅行で毎回使う、叔母がくれたリュックも大切だし、もう多分きっと会うことのないだろう、当時仲の良かった友人が成人の誕生日にくれたZIPPOも。

それにあぁ。そうだ。そうだ。くだらない、かもしれないが。いつか。小学生だっただろうか。父親が、東京へ行った際のお土産でくれた、シャープペンシル。“東京大学”と書かれたシャープペンシル。水色のシャープペンシル。何故だか。勤務用の筆入れを用意してもきちんと、メインの筆入れに、大切に、大切にしまっていた。いつも大事な時にはそれを使ってきた。多分きっとこれからもそうだろうな。何故だろうな。

あ、そう。

私には大切な家庭はないけれど。

祖母と叔母がいる。

いぬがいる。

上にあげたものは、背負っているもの?

わからない。

遠い日のこと、考えすぎて

遠い日のこと

考えすぎて。

歩けなくなってんだ。

少しだけでいい

もう少しだけ

傍にいてくれないか。

RAVE「遠い日」

遠い日のことを考える。

くだらないことに、遠い日のことを考えてしまう。

どうせ。

どうせ。

どうせ。

好きなあの子も。

うん、好きなあの子、の顔も思い浮かばないけれど。

好きなあの子も。

嫌いなあいつも。

100年後には、いないはずなのに。

100年経てば、終わるはずなのに。

何故だか、考えてしまう。

大切なものは、あげる、ことに幸せを感じるのかもしれない。

いつか、大学の教授が言っていた。

あげることに喜びを感じる。

あげたがる。

その気持ちが、少しずつわかってくる。

100年後には、何もかもが終わっているはずなのに。





どうだろう。

50年後、かもしれないな。

438000時間後。

27000000分後。

1576800000秒後。

誰もいない。

きっと誰もいない。

考えたくないけれど。

想像もできないけれど。

祖母も。

叔母も。

いぬも。

誰もいない。

誰も、いない世界がやってくる。

待っていても。

迎えに行っても。

いつか“絶対的”にその世界がくる瞬間がある。

遠い日。

大切なものも朽ち果てて。

残るものはない日。

そんな、遠い日を考えている。

私がいない、遠い日。

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