みなさん、していますでしょうか?
こころの貯金。
え?こころの貯金をご存じない?
それはちょっと・・・
いや、知らなくて当然でしょう。
私が小学5年生の時に、S先生が始めたことなんです。
さて、“こころの貯金“と聞いて、
なにを思い浮かびましたでしょうか?
少し考えてみてください。
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はい。
S先生が始めた、こころの貯金というものは、
どんなに小さなことでも、かまいません。
“良いことを行い、
こころの中に貯金をする”
ということです。
そして、下校前のホームルームにて。
その日で行った貯金の数に応じて、シールをもらうというものです。
そのシールはシール帳に貼り、自身の貯金が目に見てわかる。
そしてどれだけ善意の行いをしたかというものがわかるもの、
となっております。
とっても教育チック!
当時は楽しんでやっておりました。
ある程度成長して、思い返してみると、
偽善じゃん。と思いました。
今、思い返してみると、
とてもすてきなことであったと再確認しています。
どんなに小さなことでも良いんです。
自身の身を粉にすることも必要としない。
そして、何より、私が思い返して一番良かったなぁと思うことは、
その貯金の活動を
言う必要が無かったこと
⚪︎⚪︎したからシールください!と、言わなくても良かった。
先生は何も聞くことなく、当時、ダイヤモンドよりも、福沢諭吉が描かれた紙っぺらよりも、500円玉よりも、いい感じの木の棒よりも、輝いて見えたシールをくれた。
行動をこころの中にしまっておけた。
嬉しさと暖かさをこころの中に閉じ込めておけた。
優しさを守っていられた。
それが原動力になった。
もちろん、中には1位を目指して、嘘をついてシールを貰う同級生もいました。
それは今はどうでもいい。
この生きづらい世の中。
こういった、本当に僅かな行動を起こすことで、連鎖的に、バタフライエフェクト、まで言いませんが、この世の中が良くなっていくと、暖かくなっていくと、本気で私は考えています。本気です。
さて、なぜ、こんな十年以上の前のことを思い出したのかと言いますと・・・
本日、ようやく依頼されていたものづくりを終えました。
こちら↓
これは塾で使用します、パーテーションと言いますか、仕切りと言いますか…
1800mmほどの計の机上の、要は正面を遮る仕切りです。
その足部分です。挟み込んで固定する的な・・・
結構オシャレでしょう。むふー。
(奥にあるもう一つの足部分は、百均で購入したL字金具で時短しましたすみません)
そうだな。身を粉にして作りました!
(たった今、こころの貯金が減ったなぁ。)
製作を終え、片付けと掃除をしていたところ。
近所に住むおばあさん、お姉様が声をかけてくれたんです。
「よ〜やっとるね〜」
「ちょっといいかい、ニーちゃん。ケータイの調子が悪いんだよ〜」
なんて。見てみると、ブラックアウトしています。
作業の手を止め、とりあえず機種を調べ、再起動。
あっけなく復活!
これだけ。
私のしたこと、ボタン押しただけ。
それでも、彼女は心から喜んでくださりました。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
と、何度も、何度もお礼を伝えてくれました。なんだか恥ずかしい。そんなことないよばあちゃん。
聞けば、そのおばあさんは、現在、ご自宅に三男とその伴侶と、三人暮らし。
その自宅はもとは、次男のものであったそう。
独身であった次男と長年、共に住んでいた。
しかし、次男は癌で逝去。
そのタイミングを計ったように、三男が自宅にあがり込み、改築を行った。
義娘と折り合いが悪く、
彼女は今は居場所がない。
だから、いつも散歩をしている。
いつも、いつも歩いている。
思えば、
おばあさんは、いつも犬と歩いていた。
しかし、気づけば、今では独りで歩いている。
直したケータイを見ると、ホーム画面にはぐっすり眠るプードル。
おばあさんは言った。
次男が癌で、自宅で亡くなったと。
その際は警察が来て、悲しむ暇が無かったと。
愛犬が亡くなったときは、次男が亡くなったときよりも、泣けてしまったと。
話を伺っていると、堰を切ったように苦しい過去を吐き出す。
私を、孫と写しているのだろうか。それは嬉しいこと。
私にとっては、些細な、人助けとも呼べない行動であった。
でもおばあさんにとっては、大きなことだった。
こう言ったことはよくある。
仕事を休んだとき、いつも通り連絡をくれたあの子。
数年ぶりの再会でも昨日の続きのように会話をする恩師。
ちょっとした出来事を北国から報告してくれるかわいい後輩。
東京からくだらない連絡をくれる友人。
きっと、彼等にとっては些細なことだ。
それでも、私には大切な思いを受け取っている。
大事に、こころの引き出しに、綿に包んでしまってある。
おばあさんとの会話を通して、私は、ふと、十年以上前の、こころの貯金を思い返した。
私は彼女に伝えた。
青い車が停まっていたら、私はいるから、いつでも声をかけてと。
その後、作業の再開。掃除がひと段落ついたとき、2度目の訪問。
アイスの差し入れ。ありがとうございます!ごちそうさまでした。
貯金のおかげなんて、全く思わない。それでも、私は祖母が言っていた言葉のように、
「いつか自分に帰ってくる」
と言う言葉は信じている。
今、私のこころの貯金はどれくらいあるだろうか。
あなたは、どれくらいありますか。
少し、貯金を始めても良いのかもしれません。
自分が行ったことを言いふらす必要もありません。
貯金の数を見せびらかす必要もありません。
むしろ、進んで貯金をする必要もないかもしれません。
ただ、些細なきっかけで、貯金をしてみるのも良いかもしれません。
こっそり、優しくて暖かい、あなたのこころを、貯金箱におさめるのはいかがでしょうか。
ものをよく食べて、体に蓄える性質であるため、幸運のシンボルだそうです。
教えてくださった、S先生。十年以上経って、よくわかりました。あなたのこころも、貯金させていただきます。
まぁ…現実の貯金は雀の涙ほどなんですが😭