赤りんご青りんご

だめだめな日

アイキャッチ引用

赤りんご青りんご100% 270ml | 【公式】江崎グリコ(Glico)
甘みたっぷりの赤りんごと程よい酸味が爽やかな青りんご。2色のりんごの絶妙ブレンドで、さわやかなのにコクがあるりんごジュースに仕上げました。 工場から流通まで温度管理(10℃以下)された、チルドならではの果汁のおいしさをお届けします。



次第に秋めいてきましたね。



父親についての記事です。



不器用

前もどこかで綴った気がします。

次の目次でリンクを載せます。

私の父親は不器用です。

私に対してだけでなく、他人とのコミュニケーションが不得手です。

また、こんなことをここへ綴る必要もありませんが、

決して人間性が素晴らしいとは言えません。

弱いものいじめが好きな人です。

ここに書けないような、とてもひどいことをするような人間です。

それだけ。

私が知る限りの父親は。

ただ、必死になって、仕事をしている。

趣味や娯楽を持たず、働いている。

唯一好きなことは、お酒である。


私が、知る限り。

彼が休暇を取り、一息ついている姿を見たことは、ない。

できる限りの親孝行

どこかで綴った内容。

引っ張り出します。

こちら。

これ以上、これ以下でもない。

何度でも改めて申し上げます。



私は、幸せ者である。




上の記事にでも綴ったように、私は現在、理由もなく、いや、理由はあるか。生みの親とは共に住んでいません。

あえて、“同居していない”と書くのは、

私が、祖母と叔母(母方の姉妹)と住んでいるからです。

ですから、共に住んでいない、とか、同居していない、と書いています。

そりゃもちろん、一人暮らし、とかあって当然ですから、わざわざそういった意図で書いています。




よくよく、考えてみると。

両親サイドに立ってみると。いや立たなくても。

違和感はありますよね。

祖父が亡くなり、母親は心を入れ替え、建設的な態度に変容していきました。

しかし。

上述したような、そんな性格を持つ父親はどうでしょう。

気に入らない、に決まっているでしょう。

実際、どうだろう。顔を合わせるのは1・2ヶ月に一度でしょうか。

祖父の葬儀に関して、失礼な態度を取ったこともありました。

ですが。それでも、私は鬼ではありません。

もう、時期に還暦を迎える年頃。顔を見せるだけでも、親孝行になるのでは。

そんな気遣いの思いだけではありませんが。



繰り返し、申し上げます。

私は、幸せ者です。

会える、両親がいること。

帰る家があること。

であるのならば、できることはしたい。

そう思う。





そんな想いに駆り立てられ。

先日、今年度3回目のプロ野球を観戦してきました。

ホームランボールが
隣の席へ飛んできました

私と兄が、学生時に野球をしていたこともあり、きっと、多分、恐らく、希望的に、野球に関心を持っているだろうと。

また、先日の試合が、今年最後のカードであったこと。

二人で出かける、久しくの機会であったこと。

それだけの理由。

それだけで充分なのかもしれない。

何度でも申し上げます。

私は、幸せ者です。

愛想を尽かすことなんて、数え切れないほどありましたが。

それでも、会おうと思えば、会える親がいる。

それだけ。





祖父が亡くなったとき。

母親が泣き叫んで、後悔していた。

母親は祖父を恨んでいた。

それでも、最期に会えなかったこと、分かり合えなかったことを、悔やみ切れず感情を表していた。

私にとっての父親。

きっとこのままだと、そうなるだろう。と。


再度、繰り返し、延々と続けます。

私は、幸せ者です。

まだ、親孝行ができるのだから。

親孝行ができる、親がいるのだから。

赤りんご青りんご

どうして。

この、製品名を記事にしたかというと。

実は、私の過去には、ひとつ思い出深い、娯楽があるのです。

釣り、です。





ずいぶん前に、書いた、未だ書きかけの記事がありまして。

そちらも、釣りに関する記事なのですが。

父親との、釣りの思い出に、この

“赤りんご青りんご”がありました。

何かと、熱中しては、飽きる、を繰り返す性格を持つ私。

幼少期、釣りに興味関心を持った時期がありました。

自宅にあった竿を持ち、父や祖父、祖母へ連れて行ってもらった記憶があります。

何の知識もない、経験もない私。勿論、釣果はない。



あるとき。

どこかの川へいった記憶。

昼頃だっただろうか。

どの時間帯に魚が釣れるのかなんて知らない。

少し、休憩しようと、父親に連れられてコンビニへ。

私は、コーヒー牛乳。

甘い、コーヒー牛乳を飲んだ。もう今は、ブラックしか飲まないけれど。

父親は、“赤りんご青りんご”を購入し、飲んでいた。

その記憶が、どうにも忘れられない。

なぜだか。

理由もなく。

今でも、くっきりと、鮮明に覚えている。

普段、ジュースも飲まない父だからだろうか。

いや、そんなことはない。なぜだか、今でも覚えている。


同時に思った。

私は、幼いながらも感じた。

私の、くだらない、しょうもない我儘に、付き合わせていると。

そのとき以降。

私は釣りを辞めた。

これが私の記憶。

タイトルとURLをコピーしました