自分はかなり矛盾している人間だと思うんです。
さておき、現在私は無職ですが、基本的に何をしているかというと、
・・・何をしているかと言うと、
なにかしていますね。
そうですね、一つは勉強。これは資格を取ろうと思っているからです。
目を背け続けている“就職”という、なんともめんどくさいものに対して、まぁなんか活きてくるようななにかを取ろうか、なんて思っています。
今持っている資格は、教員免許やTOEICスコア、第三言語などなどちょっとくらいしかないので、もう少し幅が広まるようなものを取ろうと思っています。勉強は好きなので。ですがあえて明かしません。
二つに、アニメ見てます。見終わったら報告します。本は最近読めてないです。
三つに、家庭教師です。もうこれ以上ないんですが。
これがまた、意外と自分の中では結構大きな取り組みです。なんやかんやあり、知人という言い方をさせていただきますが、知人の知人的な生徒の学習面のサポートをしております。
基本、週に一度ではありますが、テストやらなんやらの際には飛んでいっております。
実は家庭教師を始めて、どうだろう、もう3・4ヶ月になるんでしょうか、期間としては思ったより行っております。ただ、あまり生徒さんとは打ち解けていないですね。残念ながら。
ですがね、その両親とは、これまただいぶ仲良くさせていただいておりまして、行く度に、
「先生!今度はバスで来て、ウチで飲んでいきましょう!」
なんて優しいお言葉をかけてくださっております・・・😭😭😭😭😭😭
そして、先日また嬉しいお話が・・・
なんと、定期考査で前回の順位より20位上がったそうなんです👍
これは素晴らしい、とてもがんばって勉強したんだね。おじさんも嬉しいよ。
あまり、自己表現が得意ではない子ですが、素直に嬉しい気持ちを伝えると、
「ニヤリ」なんてほくそ笑むのが、いいですね。
そういった、教えていく中での達成感に加え、上で述べた両親とのやりとりも楽しいんです。
特に、お父さんの業務である技術系のお話や職務の取り組み、転勤先での環境などなどお伺いすると、超都会大学の有名サークルに体験入部させてもらったような気分になります。
そういったやりとりで、自分の無職という、自己存在のなさ、透明人間だった自分が人間になれたような気もするんです。私は猿ですが。
人間という生き物は、社会性を持つため、否応なしに集団・人との関わりを避けて生きることはできません。そりゃ、1人でできる仕事なんてものは存在しておりますが、身近な製品や日用品、受けているサービスによるベネフィットは他者によるものですよね。(これはよく授業で言ってた言葉でもあります)
実際、無職を経験した人はわかるような、“無職あるある”の一つに、
社会との関わりが喪失され、自己否定に陥るもの、があると思います。
あとは、無職最高で、二度と労働になんて戻らねえ、っていうのも追加で。
一生寝転んで生きてて〜も追加。美味いもんも食いて〜も。
とはいえ、自己否定、肯定感の喪失というものは無職じゃなくても想像できるとおもうんですが、何かこの言葉ではうまく言語化できていないなぁなんて思っていましたが、考えてみて当てはまったのは
透明人間になる
という言葉がちょっぴり近い気がするんです。
それは良い意味でも、悪い意味も含んでいて。
例えば、街を歩いていて、「意外と若くて自分みたいに働いてなさそうなやつ、歩いてんな〜」とか「やっぱジーちゃんバーちゃん多いなぁ〜」とか。
何も責任を持たない、という透明人間性。
逆に、誰のためにも有用性ではない、恩恵を受けているだけ、生きているだけ、息吸ってるだけ、
そこにいるだけ
という透明人間性。
でも、生きてていいんですよね。
こういった、“透明人間性”を解消するのって、なんだか悔しいし、負けた気がするけれど、
家族以外との人間との交流なんですよ。これが絶対必要で、不可欠だ!なんて全く思いませんが。
この透明人間性に、たま〜に殺されそうな日もあるのは事実だと思います。
自分は、あぁここにいるんだ、って思い返させてくれるんです。
さて、本題の矛盾、という点なんですが。
未だに自分は自分の性格というモノが理解できていないんです。
不遜な言い方かもしれませんが、客観的に多分私を見ると
- おしゃべり
- 人との関わりを苦にしない
- 集団が好き
- アクティブ系
- パワー系(?)
と思われます。恥ずかしいですが。あっているところもあります。
ただ、時に、急に冷めてしまうこともあるんです。例えば、
- 入ってほしくない領域がある
- 嫌いと思った人は最後まで嫌い
- 飲み会や打ち上げは4人以上は厳しい
- ジッとしていても苦ではない
- パワー系(?)
だから、特に、特に子どもを相手にすると、いわゆるキラキラしたような言葉は言えないんです。
表面上でも表現するのが嫌いなんです。
なんかちょっとそっぽ向いてる子や。
体育教師と生徒指導の先生が嫌っていそうな子と話すことが好きなんです。
以前からそんな思いがありましたが、またこう言う形で透明人間になった次第、よりそういった子を想像してしまうんです。わけもなく、隅に追いやられちゃったり、後ろ指を刺されたり。
子どもは素敵です。未来です。希望です。
でもその分、素直なんです。悪意に染まるんです。大人の。
だから、子どもは残酷なんて言われるんです。残酷にさせているのは残酷な大人なんです。
それと同じで、子どもも大人でも、透明人間として生きていていいんです。と私は信じます。
息しているだけでいいんです。大人になってもおもちゃ屋とか覗いてもいいんです。気になったウルトラマンの人形を手に取ってもいいんです。どうしても気になって心に残るなら、大人でも性別も個性も関係なく買ってもいいんです。部屋の1番目立つところに、勇ましいウルトラマンを飾ってもいいんです。誰がなんと言おうと私が赦します。
透明人間にしているのは、周りの視点があるからです。
この世の常識や教養なんて、周りがいるからです。
透明人間のまま1人でいたって大丈夫です。
あなたはあなた、自分は自分、きみはきみ、それで生きていて良いと思うんです。
と、なぜここまで熱く書いたかと言うと・・・
モーレツにこの商品が気になっているからです・・・
購入はこちらから。
以上です。