少しだけ いつも死にたいのは
哀しいかな
とてもまともな事だ
時速36km「真面」
緩やかに
時間が経つというのは、嬉しいことでもあり、
哀しいことでもあります。
最近、ようやく、徐々に、次第に、嫌というほど、残念だけれど、感じるようになった。
きらきらした未来を描いていた時代もあった。
今でも、少し、描いている自分もいるけれど。
少し腐ってしまったような。
なんだか、あの頃と違うような。
でも、あの頃って、いつだったんだろうな。
そんなことを感じる。
どんなとき?
暫く会わなかった、友人と出会うとき。
真面
時間が経つことがネガティヴだけだとは思わない。
現に、本日、私は先日の記事に綴った友人と再会を果たした。
嬉しいことに。
両記事とも、保護中です…
とにかく。
どこかでも綴ったような。
私は、ずっと幸せものであると感じる。
相手方がどうかは知らないが、会いたい人がたくさんいる。
嬉しいことに、幸せなことに、そんな人と、出会えている。
特に、年末に怒涛なほどに…
昨年会えなかった取り返しというほどに。
旧友と会うと、いや旧友とまでは言わないが、
私は、そんな心を許せる友人と会えて、
本当に幸せである。
笑いが絶えない。
何を話したか覚えていない。
とにかくお腹が痛い。
笑いすぎて。
こんな生活で、真面だろうか。
こんな人生で、真面だろうか。
なにが、真面なのだろうか。
真面とは、何なのだろうか。
甘いやつ買って帰ろう
私は。
きっと、生きる意味なんてないのだろうと思う。
年末になって何を書いているんだ、と思うが。
望んで産まれてきたわけでもなく。
気づいたら、人生が始まり。
いつの日か、“自分の物語”にさせられて。
勝手に、“手前の責任”を持たされて。
狭い部屋で朽ちていく。
数年も、いや、これは傲りだな。
数日、誰かに覚えていられて、すぐに忘れられる。
生きていた証なんて残らない。
多分、九割九分の人間がそうなんだろう。
残りの僅かな人間だけが、語られて、塵になることも許されず、記憶と記録から消されることもなく、生き続けるのだろう。
そんな人生、きっと意味なんてないのだろうと思う。
だからこそ。
だからこそ、自分が見出した“意味のあること”を見つけて、生きることが、生きる意味なんだろう。
哀しいが、今の私には、自分にとっての意味のあること、それが何なのかはわからない。
だから、行き詰まると死にたくなる。
友人と会うと、生きたくなる。
これが、もやもやした、言語化できない、先の見えない今の生活なんだろう。
そんな日は、
甘いやつを買って帰ろう。
悪かった一日の評価は、
それに覆してもらおう。
救いなんて、誰も差し伸べてくれない。
よくわかっている。
だから、意味のあることを、見出す。
今の私は、友人と会うこと。
いぬに触れること。
あとは、これから探していく。
最低のずっと手前の方で。