指のあかぎれがいてえ。
そんな季節です。洗い物すると痛くなりますよねぇ…厄介
春の陽気だと思いきや、変な気候です。暖かったり、びっくりするくらい風が吹いたり、寒いし、雨降るし、なんやコレ。うーん。
そんなタイミングなんですよね。卒業の時期って。
さて、思い入れの詰まった高校を卒業して、はや⚪︎年。敢えて隠しとこう。
覚えております、数年前の本日3月20日でしたよ。
そういえば、保育園出身の私は園児の時、卒園と言いました。幼稚園は卒業ですよね。これは厚生労働省と文部科学省の管轄の違いなんて、そんなどうでもいいことはほっといて・・・
この時代であれば、なんかしらの“学校”というものを“卒業”した経験は、あるかと思います。
多数の方は、卒業する側の気持ちでしょう。いろいろありますよね、あいつウザかったー、とか、こんなところ二度とこねー!とか、あーもう会えなくなるのか…とか、いろんな感情。まぁ大抵の人間とは会わなくなるのが現実なようですが。いかがでしょう。
ただ、やはり私は高校の卒業に関しては、とても良い思い出であることを記憶しています。特別な高校(こういうとなんか変ですね)、一般高校ではないところを卒業しておりますので、また、幸いにも仲間や教員にも恵まれていたこともあり、本当に名残惜しい思いでありました。そんな日からはや、数年。早い。あの頃は現実を考えず動いていた。今もね。
さて、今度は卒業を“見送る側”です。これもまた、実は隠れたところで様々な思いに駆られます。
例えば、教員。例えば、留年やら休学やらで共に門出に立てなかった。例えば、やむを得ない事情で学校から居られざる得なかった。
卒業はどこの国でもそうですね、やはり派手に、賑やかに、大っぴらかにやるものですから、それが眩しく、喧騒に感じる人もいるかと思います。華やかだもんね。息が詰まる人もいるよね。
さて、話が飛躍してしまいましたが、見送る立場の代表として、教員です。これは、見送る嬉しさ・悲しさも存在します。私はあまり経験できなかったけど。
学校というのは、子どもと接する仕事であります。彼等は社会的な立場で言えば、充分に弱者であります。そんな彼等は、数年の歳月が経ち、卒業という形で流れていく。これは、企業でも異動があるように、流動的で良いですよね。それでも、特別気に入った子どもや慕ってくれた人がいなくなることは、どちらも共通して心苦しいものであると思います。
ただ、決定的に違うのが、管轄が変わるということです。
つまり、その子の責任を負わなくて良いということ。
その子の責任を追えなくなること。
その子の未来まで関わることはできないこと。
こういったことが付き纏います。社会的に弱い立場の彼等に対して。
意外なことに、これまた難しいのが、初等教育や前期中等教育では、意外と心配はないんです。社会的な立場はかなり弱いはずなのに。
逆に、自身は見送る側には立っていませんが、後期中等教育や高等教育を卒業する人たちの責任、と言うより責任感、というものは想像するより多大なものであるような気がします。理由は、教育を受けた彼等の多くは直ぐに社会に出るからです。自身の教えや支援が、社会に対して適したものであったのか、そんなこと悔やむに悔やめません。学校という組織に進学する人間は、学校という組織に守られます。同様に、社会に進出する人間は会社や官公庁、自治体に守られます。ただ、多少異なることは、学校以外の組織では、職務や責務といったものが付き纏います。なにか問題を起こしてしまうと、取り返しのつかないことに陥る危険もあります(学校もそうだけどね)
また、キャリア・人生プランを決定づける大きな行動の一つにもなり得るでしょう。
そんなことを想像してしまう指導者には、卒業とはなんと苦しいものでしょう。
解放されない呪い。むしろ卒業という呪い。教え子が増える呪い。卒業という名の支配。
きっと、そんな指導者は優しい心の持ち主の人であるに違いないと思います。悪く言えばおせっかい。
彼等も、きっとそんな教員の顔は見たくないでしょう。
それでも考えてしまうあなたは、優しくて、暖かくて、心配性で、誰よりも教え子のことを考えているでしょう。
そんなポカポカな、父親のような恩師と本日、お茶をしてきました。
卒業して、数年が経った今日。かつて私の卒業式であった日に。
やっぱり、暖かくて良い先生です。私はあなたの教え子であって光栄です。
どうか、ご無理せず、ご活躍を願っております。
(ケーキとコーヒー、ご馳走様でした。ドクターの学位を持つ教授に奢ってもらう無職、もといフリーター。本当に頭が上がりません。ありがとうございます…)
以上