大人になれない僕らの
強がりをひとつ聞いてくれ
逃げも隠れもしないから
笑いたい奴だけ笑え
千綿ヒデノリ「カサブタ」
あなたは。
大人になってから
カサブタができたことは
ありますか。
アイキャッチ引用

明日へ続く坂道の途中で
すれ違う大人たちはつぶやくのさ
「愛とか夢とか理想も解るけど」
「目の前の現実はそんなに甘くない」
って
千綿ヒデノリ「カサブタ」
“夢”について、少し考えてみたい。
夢(ゆめ)
1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い—を見る」「正 (まさ) —」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが—だ」「少年のころの—がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も—ではない」「—多い少女」
4 心の迷い。「彼は母の死で—からさめた」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「—の世の中」「人生は—だ」
引用元 https://dictionary.goo.ne.jp/word/夢_%28ゆめ%29/
こどもの頃、描いていた夢。
それが、何だったのか。
覚えていない、わけがない。
あなたの夢は、何でしたか。
サッカー選手ですか。パティシエですか。ロボットを作ることですか。人を笑顔にすることですか。
それとも。
どうでもいいですか。
“大人”とやら、になってから。
私は。
いや、どうでしょう。
他のニンゲンたちも同じでしょうか。
何かを成し遂げたい。
何かをつくりたい。
何かが欲しい。
“何者”かになりたい。
そのように思うのではないのでしょうか。
今、私の中では、“夢”とやらは、ぼやけてしまっていて。
冬の寝起きのような。
花粉と黄砂による目の渇きのような。
そんな視界でしか、思えない、くだらないものである。
夢。
それは、叶えるものでも、叶わないものでも。
それはきっと夢。
そう信じたい。
なぜ人は憧れる
出来もしないこと。
到底達成できないこと。
少し頑張れば、実はできたかもしれないこと。
そんなことを夢と呼んでも良いのだろうか。
私にとっての夢は何だろうか。
ふと、考える。
何のために息をして、何を目指して、何で生きているのか。
ふと考えることはあるだろうか。
僕らの基準はとても不確かで
僕らの基準はとても不確かで
昨日より何となく
歩幅が広くなった
千綿ヒデノリ「カサブタ」
我々は基準が大好きである。
ある一定の水準に達しているか、否か。
気にしたがる。
小さいころは、隣同士なだけで、仲良くなれたのに。
家が近かっただけで、仲良くなれたのに。
それでも。
あの頃も。
今も。
少しずつ、歩幅は変わって行った。
それは、大きくても、小さくても、どちらが良いかなんてない。
我々は。
基準が大好きである。
結局。
大きな歩幅が好きなだけ。
素敵に見えることが、素敵と思ってしまう。
知らずに、なんて言わせない。
明確に、確実に、絶対に、区別と差別をする。
それは動物的本能なのか。
勝ち負けをつけたがる。
いつから、そうなってしまったのか。
大人になれない僕らの
せめて頼りない僕らの
自由の芽を摘み取らないで
水をあげるその役目を
果たせばいいんだろう?
千綿ヒデノリ「カサブタ」
ずっと続くと思っていた小学生には、
もう戻れない。
そう思ったのは、最近ではない。
ずっと膝には、カサブタがあったあの頃。
自転車で転んで、左肘にできた、傷跡。
急いで学校に向かって、昇降口で転んでできた右膝の傷跡。
どちらも、家に帰って泣いた、あの傷跡。
血が止まらなくて、死んじゃうんじゃないかと、心から思っていた幼い頃。
大丈夫。
その十年後、もっと死ぬんじゃないか、と思う病気になるよ。
今では、全く意識することはなくなった、この傷跡。
当時。
家に帰って、おばあちゃんに慰めてもらった傷跡。
数日かけて、カサブタになった。
いつ。
いつ。
いつ治るんだろうと。
つい、触ってしまう。
血が出る。
治りが遅くなる。
体と心の傷。
月が空に張り付いていた。
もう治らないと思っていた傷。
いつの間にか、カサブタは消え。
それらはまさに、私の勲章。
あの頃。
新学期で新しい教科書に、油性ペンで名前を書いたあの頃。
台風で早く下校できることに喜びを感じていた、あの頃。
黒板に落書きをすることに、胸を弾ませていたあの頃。
昼休憩に、慣れないサッカーをやりに校庭に飛び出したあの頃。
プール後の眠気に、ほのかに暖かな風が入り込んでいた教室にいたあの頃。
うまくごみを取りきれなかったちりとりを使い、
汚いモップが入った掃除用具入れを眺めていたあの頃。
プリントを後ろに渡す際に、一瞬、あの子を見ていたあの頃。
石油ストーブに近づき過ぎないように、白テープ越しに暖まっていたあの頃。
置き傘を忘れてしまって、濡れて帰ったあの頃。
長靴を履いていたあの頃。
社会の、歴史を学び、少し、わたしたちの過去に触れたあの頃。
理科の、電池と豆電球を使った実験と、モーターカーを組み立てたあの頃。
国語の、音読で、丸読みをしたあの頃。
算数の、普段使わない机の半分を占めた算数セットを使うドキドキを感じていたあの頃。
体育の、跳び箱でうまく飛べなかったあの頃。
お小遣いを握りしめて、駄菓子を買いに行ったあの頃。
もう今は、その店主は、亡くなってしまっているけれど。
朝の歌で、流行りの歌を歌っていたあの頃。
今でも思い出す、あの歌。
運動会で、少しでもかっこいいところを魅せようと、張り切って空回りした徒競走も。
もう二度と、連絡を取ることがない、隣前後の友人“だった”子も。
初めて、目を見て話すことができないと感じた、
あの子が、転校しちゃうと聞いた、あの頃。
あの頃。
いつも、私の膝には。
私たちの膝小僧には。
カサブタがあった。
今は。
ここ数年は。
いや、ここ数十年は。
カサブタは、見当たらない。
できたカサブタは、全部心の中。
大人になれずにいる。
そんな。
そんな私が、ここにいる。
あなたが、最後にできた“カサブタ”は、いつですか。
どんな、“カサブタ”ですか。
痛かったですか。
治るまで、どれほど時間がかかりましたか。
もうひとつ、聞かせてください。
あなたが、最後にできたカサブタ。
そのカサブタは。
心の中ですか。
それとも。
猿と犬