宇宙を考えます。
いつか、少女終末旅行の記事でも、宇宙への憧れについて考察したような、してないような、酔っ払っていたからさ、それはまあ許してくれてもええやんか・・・
なんでだろう。考えたり、憧れたりしませんか?しますよネェ!?
そんな、眠れなくなる夜に私は宇宙を考えます。
これを読んでいる方、その宇宙を考える理由を少し考えてみてください。
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前の考察と少し違った解釈をしているかも知れませんが、私が今、宇宙を考える理由として思い当たるのはこちら。
- 手が届きそうに“見える“から。
- 未知の世界が広がっているように“思える“から
- ユートピア、つまり理想郷、黄金郷がそこにあると“信じたい“から
ではないかなぁなんて、思います。
すみません、完全に宇宙に関する知見なんて
全くない私が考察します!!
もう一度言います。
完全に素人質問に近い考察です。
ご容赦くださいまし。
手が届きそうに“見える“から
なんか気分が乗ってるなぁ、見出しまで作ってもうた。不定期更新の予定なのに…
私だけでしょうか、手が届きそうだと、魅力的に見えませんか?
例えば、バイク。うん。例が悪いな。それでも、これでいくぞ・・・
ハーレーダビットソン的な、いかちー系のバイクだったり、ドゥカティとかモンスターバイクだったり、あぁいったものって、趣味嗜好が違うだけなのかはわかりませんが、あまり魅力を感じません。
他にも車であれば、レクサスやベンツ、BMとか、手が届かないように思えるから、仮想、空想上のものだと錯覚しちゃう自分がいて、それを手に入れるためにがんばろう!と思えません。
それに対して、ヤマハのセローや(もう生産終了しちゃったけど)(復刻すると信じてるけど)ホンダのCB650rとか、車で言えばスズキのジムニーやマツダのCXシリーズとか、大衆とまでは表現しませんが、なんだかがんばれば手が届きそうなものは、とても輝かしく私の目には映ります。
それと同じなんじゃないでしょうか。
夜。上を見上げたら、ただずっとそこにある。月。宇宙。
きっと何百年も、何千年も、何万年も、昔から人は上を見上げていたと信じています。
ずっと、憧れていたと思います。
ボストーク計画で、初めて宇宙を観測し、
ソユーズ計画で、ユーリィ・ガガーリン氏が
宇宙で神様を探したその日、
憧れがぐっと、現実に、大衆に近寄って行ったように思えます。
残念ながら、当時私は生まれていませんが。
残念ながら、それらの計画は政治的な影響を強く受けていますが。
逆に生まれていたら死んでたな。おおらかで、残酷な時代ですから。今でもか。
未知の世界が広がっているように“思えるから”
これもいつか書いたように、人間、わからない・未知のものは怖いと認識します。
反面、好奇心を持つ人もいるかも知れません。
例えば、部活でも勉強でも、すごいやつが現れたら、ライバル視する人と、なんか嫌だなって思う人がいるかと思います。前者は好奇心、後者は恐怖、の感情だと、個人的に解釈しています。
上記の手が届きそうで、それでも訳のわからない世界が広がっていて、やっぱり手は届かないんだけど、それでも未知の、私たちの知らない“理想郷”と“黄金郷”があるんじゃねえか、って信じますよね。
ユートピア、つまり理想郷、黄金郷がそこにあると“信じたい“から
さて、絶望に疲れた人はどうなると思いますでしょうか。
どうもならないんです。
終わりを認識するだけなんです。
それでも、何かに縋るように、無いのなんて甚だわかっているのに、ユートピアや理想郷、黄金郷があるって、信じちゃいます。
ないのにね。ばかだよね。
あるのはきっとディストピアなのにね。
夢を見ているような感覚なのかも知れません。
上で述べたように、ここではないどこか、手が届きそうで届かない、何もわからない、そんな世界が目に見えます。何億年前から。観測者はいたのか知らないけど。
そんな世界、何かがあるって、信じちゃうでしょう。
今の私を救ってくれる、変えてくれる、赦してくれる、解放してくれる、慰めてくれる、受け入れてくれる何かがあるって、信じてしまうよ。
だから、人は宇宙を目指すんだと思う。
かんそう
私は、とても記憶に強い宇宙に関する出来事があります。
あれは、高校2年生だったでしょうか。
私は、結構な田舎に住んでいます。実家の裏は山でした。今は工場になってしまったけれど。
工場の建設が始まり、平地ができたところだったんです。
ナントカ流星が流れる日があったんです。
当時、夏の暑い日。兄と共に、工場ができる予定の平地に二人寝転び、その星を観測しました。
瞬きをするたび、観測できた流星。言葉に表すと、ちゃちですが、美しかった。
兄弟仲良く、あっち!こっち!すげー!と言いながら見た記憶が、今でも綺麗に保存されています。
この記憶も、USBメモリに入れて、ずっと引き継ぎたいなんて思います。
それでも、記憶はいつかは失われ、風化し、跡形もなくなり、私が生きた証はなくなります。
結局、地球で生まれた私たちは月では住めないし、月で生まれた人は地球には戻れない。
還るのは、土。
宇宙や地球ができた確率は、25mプールに時計の部品だけを沈めて、たまたま水の動きだけで時計が組み上がるようなものだと言われいます。あんま、しっくりこんけどな。
今、ここに生きる私たちの確率も、もしかしたらとんでもないものかも知れません。
これから一億年後の世界はどうなっているのだろう。同じように、数億年前宇宙が誕生したような確率でしか残っていないのだろうか。そんなことを考えると、眠れなくなります。
まぁ、死んでるから、いいか。