少年期 (総意見集)

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「少年期」by 武田鉄矢

夢の中では 青い空を

自由に歩いて いたのだけれど

夢から覚めたら 飛べなくなって

夕焼け空が あんなに遠い

ああ僕はどうして大人になるんだろう

ああ僕はいつごろ大人になるんだろう

武田鉄矢「少年期」

さて、以前書いた記事のこちら

おとなになったきっかけ

こちらでは、大人になったと感じたきっかけについて考察しました。

あの日は、いろいろと立て込んでいたこともあり、結構ラフに書いたつもりですが、意外と後で考えると我ながらオモロいテーマだと気づき、私以外の意見を集計したいと思いました。

そこで、今回の記事では、

「大人になったと感じたきっかけ」

について、集まった意見と、僭越ながら私からのコメントを集めて記事を完成させたいと思いました。

たくさんの方々に、ご協力をいただきました、ここで感謝の意を表します。誠にありがとうございます。

はじめに

はじめに、今回のタイトルである、少年期。これをひとつ、聴いてみてください。

ぜひ、お願いします。

「少年期」by 武田鉄矢 『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』

私は、この歌を聴きながら書いています。

私の好きなBump Of ChickenがShortアレンジをしているそうです。

さて。それでは、はじめましょう。

エントリーナンバー1 Y氏

さて、トップバッター。エントリーナンバーワン! Y氏から行きましょう。
回答は、こちら↓



時間をお金で買うことが“普通”になったとき

Y氏


これは、、、

いきなり重いですねぇ。

大人ポイント高いです。大人ポイント・・・5点!何点満点にしようか…

Y氏から先ほどの文章を原文ママで受け取ったのですが、私はあえて「普通」という点に“”(ダブルクォーテーション)をつけさせていただきました。

ここがミソだと感じます。

普通になったんです。普通になってしまったんです。お金を使うことに、糸目をつけない。惜しみない。なんかあんまいうと、成金みたいになってまうな。そういう意味じゃなくて…

要は、お金と時間を等価交換することですよね。

加えて、投稿者(?)のY氏は、物理的な移動が多い職に従事していることもあり、体力的な負荷を抑えることも含むと考察します。

そうなんです。負荷を軽減する。そのためのツール、手段としての存在が、お金です。

加えて、その行為が、普通になってしまうことです。

もちろん、皆様も旅行など行ったことあるでしょう。学生時代や友人同士、恋人同士など。
私も大好きです。南へ…行きたい…とにかく…南へ…
さて、そういった旅行でも、さまざまな手段があることは自明です。特に、費用を抑えたい場合や一人旅では、夜行バスなどとても経済的ですよね。寝れへんけど。ワテだけか!?

ですが、時折、スケジュールや時間、都合上、いわゆる課金して、旅行の“時間”に重きを置くこともあるでしょう。なにもおかしな話ではない。私もあります。兄貴の結婚式は飛んで帰りましたから。あれは前日まで研究していたから・・・・・・・・・・・・・

閑話休題。こういった行為が、普通。当たり前。当然。違和感に気づかない。

そういったことになってしまうことです。経済的な不安もない。それよりも時間が大事である。もちろん移動の時間の面白さも含むが、それよりも重要なことがそこにはある。

時間に投資する。これに違和感を持たなくなる。

これが、大人になるってこったぁ・・・・・・・

ありがとう。Y氏。大人ポイント5点!

エントリーナンバー2 M氏

どんどん行きましょう。エントリーナンバー2 M氏。直接、お話をお伺いしました。
回答は、こちら↓


湯葉と湯豆腐を食べるためだけに

京都へ行ったこと

M氏



オワー!!!!

これは・・・・・これは、大人ポイントたけぇ。

大人ポイント、8点!!!

これ、モヤっとしつつ、的確だなぁ。しかも、加えてこんな回答もありました。


ぜんぜん、おいしくなかった

M氏



いやいやいやいやいや・・・・・

これ、大人ですね。

あれ、大人じゃなくね?これ。

いや大人としよう。立派や。胸はれや。

いいですねぇ、面白い。面白い。ニヤつきながら書きます。

この、「なんか大人っぽい」ものに憧れて、実際に行動に移すこと。そして、それを後悔してしまうこと。ただ、よく考えたらこれ、大人じゃないかも。というオモシロポイント。そのため、残念ながら大人ポイントは失墜。ですが、青い感じの行動が現れていて、それをきちんと恥じずに伝えるところが、大人だと感じますね。

ただ、こういった興味関心において、すぐに行動に移すことができること。それは時間的な、経済的な制約を加味した上で、“可能である”ということを体現しているとも思える。

ある意味、わかっているんだけれど、無意味であるようなことを行動で示した結果がこれになっている。この行動の裏には、子ども要素を持ちつつ、行動を起こすこと自体には大人要素を強く含む。と筆者は考える。

みなさん、いろんなきっかけで大人を感じるんですね。面白いです。ありがとう。次行こう。

あ、M氏は大人ポイント3点で。

ワンランク降格〜

エントリーナンバー3 I氏

大学の先輩、I氏からもご協力いただきました。

ここで感謝の意を表します。ありがとうございます。

さて、回答はこちら↓


「明太子とたらこを
食べられるようになったとき」

「瓜科(茄子)を“食べたい“と思ったとき」

T氏


これ、いいっすねぇ・・・

これ、大人ですよね。魚卵とか瓜科、特に茄子とかって、子ども時代なんとなく嫌でしたよね。なんとなく、美味しさがわからないというか、味が濃いのかな?癖があるというか、“今では”、それが美味しいところでもありますが。

故に、自らの欲求。また、三大欲求という、無意識に抗えない欲に駆られて食べたいと、感じること。なんとなく、真髄から好みが分かれていく分岐点に立つような、いや、その分岐点を既に、いつの日か知らないうちに、どこかで「大人」というルートに渡ってしまったかのような、そう読み取れます。

大人になるという、通過点を過ぎてしまった、ということを、食を通して知る。という。

加えて、話を続けるとこんな大人きっかけ点があると教えていただきました。

「飲み会で騒げなくなったこと」

「テンションの上がり幅が少ない」

I氏

これ、いいですねぇ

すごく、わかります。飲み会、というテーマで話すのであれば、こういった場で、“理性ある行為に“、“無意識に“務めてしまうこと。ダブルクォーテーション2連続は見づらいなぁ。
私もどちらかというと、I氏のように、そういった場でははしゃげないタイプです。普段はウルサイかもですが。

とある場において、行動に伴う感情の起伏よりも先に、理性が働く。四季を重ねていくことで、ものごとを俯瞰して見ることが、無意識に可能となり、理性が強化されていく。その結果がこれだ。
結果として、ものごとに関して、ある程度の冷静さを保つことも可能となり、容易な言葉で説明するのであれば、


「落ち着き」

というものを得られ、その感情でいられる。ということだろうか。

I氏、ご協力ありがとうございました。

エントリーナンバー4 ヨルノソラ氏

ヨルノソラ氏は、スポンサーに近いです。協賛者です。ありがとう。記事はこちら

ヨルノ雑記館
これいいな!と思った本や出来事、物事やどうにか届いてほしい言葉などを無秩序に陳列する雑記帳です。

回答は、こちら↓


「一匹で生きていけると感じた
18歳になったとき」

ヨルノソラ氏


続けてこう述べる。

「失くしていくこと。」

「失くしていく経験を積んでいくこと。」

ヨルノソラ氏



いいですねぇ。人生に絶望していた感じが滲み出ています。ともに絶望しよう。

さて、HPより引用させていただきますが、やはり、若さ・幼さというものは、怖いもの知らずでもあります。子どもと定義されていた時代では、めらめらと、ぎらぎらと、ギョインギョインと燃えていた感情は、そのベクトルが内的に向いていたこと。それに気づき、大人へとなり、外的にベクトルが向き、意識的なコントロールが可能になった。これが大人になったと思うきっかけ。

加えて、後者である「失くす」ということ。

こちらも引用。生きることは、無数の選択が存在している。同意に、選択しなかった未来を“失い続ける“こと。ここで、失うという経験を積んでしまうんですね。それでも、私たちの人生には、終わりがある。賞味期限、いやもとい、消費期限があるんですね。選択として、掴み取る何かと同時に、選択しなかった何かを失う経験を積んでいく。

こういったことが大人になる、過程でもありきっかけでもある。


私にはR氏という知人がいる。R氏もよく言っていた。

「人生は選択。その選択の中で、

あなたに出逢えた」

R氏



同様に、私も、人生の選択をして、二度とR氏と会う事はない。

確かに、選ぶことって、選ばれないことも同時に発生してしまうからね。なんだか悲しいよね。でも、それと向き合うことが、大人になるってことなんだろうな。

こういった、選択ということの無意識さの残酷さ、それに気づき、意識的な選択を行なっていくこと、無意識に、失くしてしまうこと。

その経験を積み重ねて、当たり前になっていくこと。

失くすことが、当然になっていくこと。

失くしたくないものも、やむなく、失くしてしまうこと。

大人になるって、失くすこと。


ヨルノソラ氏、ありがとうございました。

ヨルノ雑記館
これいいな!と思った本や出来事、物事やどうにか届いてほしい言葉などを無秩序に陳列する雑記帳です。

エントリーナンバー5 梅マシ氏

ウチの太鼓叩きです。イカれたドラマー。HPはこちらから。

梅マシ日記
梅田マシンガンの日記や漫画など

上リンクの記事から引用させていただきます。

回答は、こちら↓

「就職をして、一人暮らしを始めたとき」

梅マシ氏

加えて、こう述べている。

「漠然と俺の歩んだ人生の責任は
自分で取るもんだとわかったとき」

梅マシ氏

とても、重い言葉です。私には、まだ本質的には理解できない。



大抵の場合は、人間というものは多くのものに守られて産まれると、私は考えています。

そこから、“大人になるにつれて”、守る立場になっていく人が、“多い”気がします。必ずしも全員ではないです。

ですのであえての、“”←こいつです。

ある意味、私たちが大人になるきっかけとは、守られなくなったとき。やむを得ず、否応なしに、

自分自身を守らなくてはならなくなったとき

こういったことは、大人のきっかけですよね。それが、梅ちゃん氏が述べるような、自分自身の将来の責任であったり、例えばパートナーであったり、次の世代であったり。

なんとなしに、私たちは人の責任にしたがる生き物であると思います。(あれ、ワテだけか?…)

結局、生きるのは私たちなんです。人のせいにしている場合じゃない。

私が生きる、どう生きるのか。
(なんか映画みたいやな)

先ほどの回答に近いものになるが、選択を迫られる。責任についてもだ。この選択と向き合わざるを得ないこと、これが大人になること。そして、そのきっかけとなったのが、一人暮らしだということ。



なんだか、皆さんの回答には、共通している何かがあるような気がします。それも言語化できたらいいな。

梅ちゃん、ありがとう。

お土産で、沖縄の煙草買ってきたで。二つ買ったけど、一個耐えきれず吸ってもうた。ごめんな。

梅マシ日記
梅田マシンガンの日記や漫画など

エントリーナンバー6 K氏

エントリーナンバー6 K氏。恩師です。

終盤に近づいてまいりました。

回答はこちら↓

初任給で親へプレゼントを渡したとき

新幹線へひとりで乗り、
ホテルへひとりでチェックインしたとき

K氏

わぁ・・・いいですよね。

私、まだ何もプレゼントできてないや。大人になれていないか!?

また、“ひとり”で何かを行うこと、特に上述の内容については、仕事にまつわることである。

こういった、“責任を背負い“、繰り返し、今まで誰かと行っていたことを

“ひとり”で行うこと。これで、大人の仲間入りになる。

そうですよね、大人になると言うことは、責任を負うことでもありますよね。


そして会話をしていると、さらにパンチのあるお答えをいただきました。

ネクタイを結ぶとき。

そして、それを子どもへ教えるとき。

K氏

ヴ!!!

これは、重い・・・

重いですよね・・・

加えて、加えて、この出来事に関して、

K氏はこのように述べておりました。

「私も、親にネクタイの結び方を
教えてもらった。」

「同様に、反対の立場になり、
自分の子どもへと教える。」

「わかっていたのに。」
「想像なんてできていたけれど。」


「いざ、自分の立場になると、
心が揺さぶられる。」

K氏

・・・言葉が出ない。

親になると言うこと、恩師も繰り返し述べられていた。

“わかっていた“のに、“想像していたけれど”。

頭では、“わかっている”。

それでも、いざ、目の前にその行為をすること。

いつか、私の旅行記でも綴ったように、教科書やテレビ、スマホで見るのではない。

実際に、自分が体感・体験すること。

古くから言われるように、百聞は一見に如かず、ではないが、

実際に己の目で見ること、それ以外に事実を知る方法はない。

閑話休題。

親と子の関係の間で、ネクタイを結ぶ方法を教え合う行為。

これにより、“親と子”の関係の節目であり、その関係が一歩進む。

改めて、大人になったと、いや親になったんだと、感じたのですね。

やはり、先を生きる人は、後を追う者には想像もできないことを教えて下さります。

恩師、K先生、ありがとうございました。

エントリーナンバー7 T氏

ラストですね。

エントリーナンバー7 T氏。回答はこちら↓

「頼られるようになったとき」

T氏

涙ながらに、答えてくださりました。

私も、堪えられなかった。

また、この回答と同時に、後悔しきれないことも教えて下さった。



T氏は、19歳の頃に母親を亡くしている。

その当時、T氏は、生まれ育った田舎から離れ、都市部にてひとり暮らしをしながら働いていた。

T氏の父親は、健康に関して無頓着であり、日々頭痛を訴えていた母親に対して、適切な対応ができなかった。

それが原因で、脳梗塞を起こし、亡くなってしまった。


T氏は、その知らせを、住んでいる都市の、中心街で知った。

その当時の、嫌というほど、青く晴れ渡った青空が、今でも頭から消えない。

そう、涙ながらに訴える。

はじめの知らせでは、地元の百姓の手伝いのための口実として、嘘をついているものだと信じていた。

しかし、迎えにきたのは、T氏が普段会うことのない、叔父だった。

少しずつ、違和感を感じ、田舎にある自宅に着くと、そこには見慣れた親戚たち。


「信じられなかった」


この言葉を、何度も言った。


その後、淡々と、葬儀は進められる。

仕事も休んでいられないこともあり、再び都市部へと戻る。


そして、またできごとが。

すぐに、父親の再婚があったそう。

後妻として、新たな母親。

ここでのできごとを、T氏はこう語る。

あれほど後悔した日はなかった

T氏

再婚に伴い、新たな母親を実家に招いたときのこと。

母親は、案内をT氏に頼み、手を繋ぎ、自宅へ招いたそう。

ただ、どうしても、整理のできていないT氏。

その場に、その環境に、その新たな“母親”と共にいること。これに、居た堪れない想いに駆られ、自宅前で、その手を振り解いてしまった。

その行為を、母親が亡くなるまで、今でも、後悔した。


どうにも、忘れられない、あの時の青空と、振り解いた手。

そして、本当の母親がいなくなってから、頼られることが増えていったT氏。

このとき、T氏は大人になったと、悟った。

百姓のこと、三人いる妹のこと、実家のこと、様々なことで、頼られることが増していく。


大人に、ならざるを得ない。


時代背景もあるかもしれないが、大人にならなくてはいけない。

そして、いつか、T氏は『手を振り解いて』しまった過去を、謝った。

後妻、T氏の母親は、何も気にしていなかった、らしい。

その言葉に、T氏は漸く、長きに渡った後悔、慚愧に堪えなかった想い、これが赦されたと語った。

それでも、あの行為だけは、亡くなってしまったT氏の母親に対し、今でも後悔が募っていると語る。

おわりに

本記事を執筆するにあたり、ご自身の、“大人になった”きっかけをご教示頂きました協賛者の方々、また、執筆のご協力いただきました方々へ、ここに感謝の意を表すとともに、厚くお礼を申し上げます。

誠にありがとうございました。

それぞれ、ご意見をまとめるにあたり、大変興味深いと感じたことは、この問いを深刻に捉え、苦しい思いで綴る方と、そうでない方がいたこと。これは決して、どちらが良いとか悪いとかでは、全くございません。

今日、世界には約80億の人間がいます。

それぞれ、異なる人生が存在しています。

私が知ることができるのは、ほんの一部。いや、ひとりでさえ、知ることはできないのだろう。

それぞれ、子どもの時代があり、いつの間にか、大人になっていくのでしょう。


私は、大人になっても、好きなものは変わらずにいたい。こう思うだけです。

怪獣とウルトラマンが好きだった、あの頃から、死ぬまで変わらずにいたい。

いつか終わってしまった、少年期の私へ向けて。


ご協力いただきました方々へ、ありがとうございました。

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