時折、猫背です。
自信がないのだろうか、いや単に筋力が落ちてる影響なのか。
そりゃ確かにあまり家から出ていませんが、力仕事はやっているし、だけれども前よりかは圧倒的に外へ出ていないし確かに筋力が落ちているのかもしれませんがただ単純にそんな自分を認めたくない自分がいるだけなので無視してくださいあんまり気にしないでくださいお願いいたします。
あるいは、遺伝によるものなのか。
父親がいます。父親も猫背です。
久しく、父親と会ってきました。
父親を表現する言葉は、不器用で自己表現が苦手で、あまり何を考えているのか分からず、猫背であること。
そんな父親と本日久しく食事へ行ってきました。
びっくりドンキーへ行きました。美味しかったです。そりゃもう、びっくり!って感じ。
それはいいんですが、本当に久しく、何を話していたかとか、どこまで自分のことを伝えていたかもよく覚えていません。ただ、とても久しく2人での外での食事。とても楽しかった。普段、聞けない話や知らないこと、
親子でも知らないことが多く、あることを知った。
父親が他人と交流しているところを私はあまり見たことはありません。
不器用ながらも、学校を卒業後、自分のため、家族のため、寥々と長く、1つの職を続けております。
これといった趣味も私の目には見当たらず、夜になれば粛々としっぽりお酒に浸っている姿。
その姿は、幼少期の私、いやほんの少し前までの私にとって、率直に申し上げると、あまり浪漫を感じることはありませんでした。
もちろん、私が父親のこれまでの人生や職場の姿を見ているわけではありません。
普段、どのような表情で、どのような声色で、どのような目で、生きているのかも知りません。
私の前では、猫背で、不器用に振る舞うのです。
ですから、繰り返しとなりますが、本日の食事はとても嬉しいことでもありました。
また、同時に父親の姿が違って私の目に映りました。
何不自由なく、私は学校へ通うこともできました。やりたいことを他の要因で諦めることもありませんでした。二世帯住居として問題は抱えていたものの、恵まれていました。その大元と恩恵を与えてくださったのはあなたでした。
ただ、私の意固地さと父親の不器用さでうまくやれません。
私にはどうしてあげることもできません。
これまで私の充分な生活を提供してくれたのに。
私は父に対して、申し訳ないと思っています。
父が毛嫌いする煙草がやめられませんでした。父がくださった恩恵を何にも生かすことなく生きています。父が生まれた地で教師をやっていたのにも関わらずそこへ泥を塗るようにやめてしまいました。安定思考な父とは全く異なる生き方を選びました。
何事も、終わった後であったり、取り返せなくなった時に、後悔をするんだと思います。
何事も、自分の思い通りに行くことは難しいのだと思います。
何事も、他者の姿の裏を知ることはできないのだと思います。
何事も、できることというのは、自分の行動を変えることだけな気がします。
何事も、全て失って、取り返しがつかなくなってから、わかるのだと思います。
何事も、全て失って、始まるのだと思います。
あなたと同じように、私も猫背です。
不器用かはわかりませんが、今になってあなたの気持ちがわかります。
でも、私はあなたのように真っ直ぐ生きることはできませんでした。
猫背の男に伝えたい。
齷齪と働くのもほどほどにして、死ぬ時に笑えるように。
私も、頑張って、そうなりますから。
尊敬しています。
以上。