Go!Go!7188知っている人と4時間くらい話したい。
それはそうと、天気が不安定ですね。(あと雑記を見返すと、誤字脱字がすごいですね。おもしろい。酔っているから…)
水曜日は暖かったですが、その前まではずーっと悪い天気で、私もアルバイトがあったのですが、気圧の影響でしょうか、非常に気分が悪くなってしまい、帰宅後も体調が優れないのに眠れないという地獄でした。(病的な影響じゃないといいな…)
私は結構天気、好きなんです。
晴れていると、気分が良くなります。反面、少し憂鬱と億劫な思いになります。
雨が降っていると、外出めんどくせ〜と思います。反面、夜の雨音は大好きです。わたしゃ、家にいるのに大雨ですよ(さくらももこ風)と言う感じで、無敵感を覚えます。これわかる人絶対いるでしょ。
問題は、曇りです。これなんです。気分は特に変化はありません。あー作物、元気なくなるよなぁ、とだけ思います。それよりも、低気圧?分かりませんが、体調が良くないです。これがちょっと嫌ですね。どうでもいいですね。
連日、なんだか気持ちの浮き沈みがあります。なんでなんでしょうか。分かりませんね。
私は、昔から環境が変わると、リセットしたくなるクセがあります。
まず、地元とのリセット。
これは単純です。私は中学校を卒業し、ヘンテコな高校?変わった学校?専門学校?有体に言えば、他の環境より独立した、閉鎖的な学校へ進学した経験があります。地元と関わる機会なんて、もちろんたくさんあるのですが、自らその機会を断ち切ってしまいます。前言ってた、記憶とか更新とか、上書きとかその辺ですね。
アホくさいですね。自分から記憶を記録化させているのは、滑稽です。
さて、何が言いたいかというと、そうです。リセットしてえ。
なんでだろう、二度と関わらないと早計にも判断しちゃっているんでしょうか。
それと同時に、先日、恩師とも話をしていましたが、現代を生きる人間は科学技術の発展とともに本質的な幸せから遠ざかっているように思えます。
その要因として、Innformation Communication Technology (ICT)が発達しすぎていること。それに伴い、Social Networking Service (SNS)も非常に一般化していますよね。(ヨコモジ使うとカッケェ)
一言で表現すると、
仮想空間上における擬似的出会いの実現を、本物だと錯覚していることだと思います。
これだと思います。
ただ、あくまでも二元論で語っているつもりはございません。良いか、悪いかではありません。光か闇か・・・(厨二っぽくて、カッコいい✨)
例えば、大手SNSのInsta⚪︎ramやLi⚪︎e、Twitt⚪︎rなどです。(Fac⚪︎ Bookは廃れていますでしょうか…私は良く見ますが。)
これらは、とても容易に近況報告が可能です。もちろん、ツールとしては素晴らしいものなんですが。
ただ、それに満足してしまうと、人間本来としての、会って話す。会って、顔を見る。会って、想いを伝える、なんてことから離れていく、離れていく。
私はちょっぴり、なんだか寂しいようにも思えます。(これも私のエゴかなぁ。)
ですが、私はこうやって、インターネットの大海原に、誰に当てるわけでもなく発信していますが・・・
閑話休題。話を戻すと、仮想的に、心や物理的距離が近いと錯覚してしまいます。
その結果、いざ、改めて数年ぶりに会うと、ちょっと違和感を感じたり、なんか変わったなーなんて思いを抱くことがあります。私はありました。まあ再会なんてそんなもんか。
加えて、残酷な事実もあります。私自身、教育従事者でしたから、よくわかるのですが。
幼少期より、そういったツールに慣れていると、やはりそれらが彼等の“ステータス化”してしまうんです。いわゆる、“マウント”です。
これらが、じんわりと、ゆるやかに人の心を抉るような、そんなツールにもなりえます。
もちろん、距離的に頻繁に会うことが困難な人同士であれば、非常に有用なツールです。
私は二元論で語っているわけではございません。
私にも、非常に信頼する、大好きな後輩、いや戦友だな。戦友が北の、北の方に住んでいます。連絡が来ると嬉しいです。私も連絡します。早く会いにいきたいです。
ただ、上述のように、“会った気になる”と言うのは、幸福度を下げているようにも思えます。
“ステータス化”し、自身の強さを仮想空間でアピールするのは滑稽で、そしてそれに影響を受け傷つくのは、悲しいことです。それも、幼い子どもたちがです。むしろ、親世代も武器にしていますよね。
そうなってくると、インターネット上で繋がること自体、アホ臭く思えてきます。
それでも、良い面もあります。我々の主張が、容易に行えるからです。このサイトもそうです。。。
共感を経て、団結し、不変なものを変えていく力も秘めています。
単純に使い方次第なのでしょうか。分かりません。誰も教えてくれないし、教えられる前に我流の使い方に慣れていますから、彼等。(教育従事者は語る・・・)
ただ、仮想空間でも、繋がっていたら、思い出すことはあります。
あなたのいない日に、慣れてしまったけれど、思い出すきっかけにはなります。
別に、不安でも、悲しくもないけれど。
現代に生きる人の多くは、やはりこの錯覚に陥っていると思います。
ある種、それが科学技術の発展による副作用なのかもしれません。
それだけで満足してしまうこと、それらを振りかざすこと、そうなるくらいなら、リセットして、ふたをした方が楽だと、私は思ってしまいます。
と、匿名で発信します。。。(本末転倒だねぇ・・・byさくらももこ風)