タイトル通りです
特になし
特に理由はないんですが。
ふと、というより、前々からでしょうか。
何度も、何度も、綴っておりますように。
人間関係というのは非常に脆いものです。
そうです。
靱性がない、と言えばよいでしょうか?
人生の中で、人間関係は
靱性がない。
ええダジャレやん。
ね、オニーサン。
靱性とは、ものづくり分野で使われがちですが、粘り強さ、みたいなイメージです。
ね、オニーサン。
はい、閑話休題。すみません。
わかる人だけのネタでした。
幼い子ども、と書くと、失礼に当たりますね。
未来ある、無限大な可能性を持つ子どもたち、いやそれは少し嘘か。彼等も数多の制約の中で生きていますから。ま、いいや。なんだっていい。
無垢な子どもたちと関わっていると、大変痛感します。
私は、何を、しているんだろう、と。
彼等は今を生きていて、今を楽しんでいるような、いや私が出逢っている子どもがそうだけなのか、もうどうだっていいや。
人間関係についてです。
ちょっとした喧嘩や言い合いで、仲違いをすることはあれど、私たち、いや私だけなのかな、もうわからないけど、自分のように、自ら交友関係であったり人間関係に句点をつけるようなことはしない。
なんでですかね。
彼等は純粋に、私たちと関係を作る。
私たち、私は、関係を断ちたがる。
私が捻くれていて、素直じゃないだけなんですかね。
素直であったら、どう違ったんですかね。
ついこの間、人間はひとりでは生きていけない、なんて書きましたが、そのセンスがないのかもしれないですね。
もうどうだっていい。
空に唾を吐く
こう、本のセクションみたいに、区切りというか、節というか、そう言ったものがないですよね。
何が、って。そういうことですが。
出逢うべくして、出逢う人もいるのかな、とは思います。
反面、別れるべくして、二度と会わなくなる人もいるのかな、とも思います。
どうでもいい。
とにかく、どうでもいいんです。
もう、どうだっていいんです。
潮時、というのが、当てはまるようなきもち。
さよーなら、またいつか!なんて、潔く言えたら、また違うのかな。
どうでもいい。
戯言
アイキャッチ画像は、塾にて、私が授業をしている子どもが描いたポッチャマ。
いやいやいや、愛されすぎやろ…
確かに、可愛すぎる。
というより、生徒が描いた絵が、上手すぎるよ。
最近はですね。
授業が始まって、確認テストを行う際に、子どもからのリクエストを描くのが、ある生徒とのルーティーンです。
ちなみに、イラストの著作権については、承諾を得ていますよ。大丈夫です。
なんだか、最近、眠りが浅いこともあるので、一時的な気持ちの面でしょうか。
前後というか、浮き沈みというか、とても無気力、というか。
これはエゴですが、
子どもの前に立つ以上、笑顔でいたいものです。
もう早く布団に入ろう。
目が醒めなくていい、ともたまに思うけど、明日の自分に任せよう。
今は、またいつか、の気分。
今は、さよーなら、の気分。
今は、“また”、は無い気分