じょじょ

どうしようもないこと
「じょじょ」by 山内総一郎ver. (フジファブリック)

わたしたかった

箱の中身が

じょじょに じょじょに

型おくれになるのさ

サンフジンズ「じょじょ」



何もかも。

じょじょに。

じょじょに。




一周忌

本日は、祖父の一周忌でした。

同月同日ではありませんが、亡くなってからはや一年。

この一年、私にとっても、色々とあったよ。

仕事も辞めたし、色々とうまくいかなくなったし、思わぬ出逢いがあったし、あなたの知らないことをたくさんの親戚・友人から聞いたし。

人が亡くなる、ということをまた知った。

あなたが亡くなった時。

よく覚えています。

というより、忘れられません。

あんぐりと開いてしまった口と、

動かない心臓に、

ピーッと鳴り止まぬ、わけのわからない機械音。

ガリガリに痩せてしまった姿。

昔の面影はとてもではありませんですが。

なかったです。

葬儀場へ運んだ際。

あなたを運んだとき。

こんなにも、軽かったのか、と。

ふたりで運ぶ。あっさりと持ち上がってしまう。

軽すぎる。

昔は、車庫や小屋だって作っていたじゃないか。今でも現役で使っているよ。

そんな、小さくなってしまった体。

あっという間に、おわり。

小さな、小さな骨壷に。

骨も、ほとんど跡形もなかったね。

もっと、小さくなってしまったね。



何よりも。

わたしが辛かったこと。

長年、連れ添った、祖母の心のケアをすること。

取り乱して、混乱して。

私は。

私はなんと声をかけて良いか、わからなかった。



そんなできごとも、もう一年。

繰り返しですが。

あっという間でした。

あれからね。

色んなことが沢山起こってさ。

一人では、なんかどうしようもないことなんだ。

ただ、それでも地球は進む。

ただ、それでも地球は回る。

いつものように。

そんな、いつもの積み重ね。

積み重ねて、今に至る。



ちゃんと、あなたを想っているひとはいる。

ここにいる。

周りにも、たくさんいる。

今日も、たくさんの人がきてくれたよ。

忘れられないこと

亡くなったときも、忘れられませんが。

二つ。忘られないことがあります。

ひとつ。

歯磨き粉のこと。




祖父は、亡くなる一年ほど前より、入院しておりました。

認知症が悪化し、足元も覚束ず、転んで骨折してしまったから。

透析も含め、障害一級になってしまったから。

それは、まだ、私が県外の修士に在籍していたときでした。

お見舞いへ行っても、祖父は寝ているだけ。

歩くことはできませんでした。

認知能力は、著しく低かったと、想像できます。

一日を、寝て過ごす日々。

見知らぬ天井を、眺める日々。

辛かったのだろうか。

楽だったろうか。

わからない。



逝去後、病院から荷物を引き払いました。

荷解くには、少し時間がかかりましたが。

荷物には、少量の着替えと、日用品。

財布さえも持っていっていなかったね。

それらを段ボールに詰めて、持ち帰りました。

その中に。

歯磨き粉がありました。



歯磨き粉があったんです。

自宅から持っていった、健康ショップで買ったもの。

その辺りの薬局では売っていない、ひとめ見たらわかるもの。

祖父の名前がテープで貼ってあった。

歯磨き粉。





一度も、使用されてなかった。

開封さえもされていなかった。

それを見て、祖母が言った言葉。

その光景と言葉が忘れられない


「じいちゃん、一度も使ってなかったんだね。」



ただの、日常の行為。

これさえもできなくなってしまっていたこと。

若しくは、それさえもわからなくなってしまったのか。

もうわからない。何もわからない。

ただ、未使用の、新品の、歯磨き粉。

たった、それだけが、なぜだか、悲しくて、どうしようもなく、取り返しのつかないような気がして、それでもできることなんて、なにひとつなくて、祖父が歯磨きをすることもなく、一年間もの間、あの病棟で寝ていたことが、言葉に表せないほど、なぜだか涙が止まらなくて。

何事もなかったかのように。

今はもうない。






もうひとつ。

荷物の整理。

小さな黒いかばんの話。



私も、幼少期、貸してもらって使ったことがある。

黒い、小さなかばん。

祖父は、入院前。透析へ通う際に使用していた。

日々の血圧、体重、体温等を記載した手帳と、連絡帳。保険証を含む財布を入れて。

使い古したかばん。

あれは寒い時期でした。

私も、祖母も、家族も、ある程度心の整理と余裕が出てきて。

遺品の整理をしていたとき。

祖父は、ものをたくさん持っている方でしたから。

整理には、とても手間をかけさせてくれましたね。

いろいろと思い出すこともあって、楽しかったよ。

きっと、祖母が一番楽しんでいたよ。

長いこと、一緒にいたからね。



そして、最後まで使用していた、そのかばん。

かばんを整理するときがきた。

それを見て、祖母が言った言葉。



「これは、燃えるごみか。」

と。

呟いた背中。

掛けてあげられる言葉が、なかった。

いくら探しても、なにも届かないと悟った。

今使うにしては、古すぎる。だからと言って、とっておくことも、有用ではない。捨てるしかない。どんなものも、いつかは朽ち果ててまうから、全てをとっておいて、保存していたらきりがない。祖父が大切にしていたかはわからない。それでも、ずっと使用していたかばん。一番、身近にあったもの

それが、燃えるごみ。

残酷なほど、冷酷に、単純に、簡単に、当然に、燃えるごみの袋に。

写真も、もうない。

当たり前のこと。

わかっている。

それでも、少し前まで生きていた、使っていたものが、消えていく。

そうして、きっと。

記憶からも欠落していく。

同じように、私も、果てる日が来る。

そして、誰の記憶にも残らない。



このふたつのできごと。

些細なことかもしれません。

なぜだか。

私にとっては。

生きる理由がわからなくなりました。

いつか、すべて、なくなる。

じょじょに、じょじょに。

じょじょに。

T

身近な人の死。

私にとっては、もうひとり。

中学校の同級生。

T氏。

彼は、私が高校3年生の時に亡くなりました。

高校が普通科ではなかったため、地元の友人とは疎遠になり。

交流があった友人はバンドのドラムとT氏だけ。

亡くなる3ヶ月前に焼肉を食べた記憶があります。

あれが最後だった。

一緒に帰ったね。

図々しく、私の父親の迎えの車に乗って、自宅まで帰ったね。

苗字の頭が一緒で、中学校時は席も近く、理科の授業でアホなことしていたね。

なにを話していたか、ほとんど覚えていないけど。

それでも、楽しかった。

楽しかった。

それだけは、忘れられない。

命日に、きちんと綴るね。

おわりに

冠婚葬祭。

これは、シビアなものですよね。

特に、“葬”。

今覚えば。

というよりも。

主役は、私たちではなく、客人・親戚たちになるのでしょう。

ある程度、歳を重ねることは、血の繋がったもの同士でも、会う機会が減っていくことを示唆します。

ですから、悲しみと同時に、再会の嬉しさを分かち合うことも。

こういった、日本の文化は良いものなのかもしれません。


また、私たち。

特に、私は、祖父母と、叔母と、いぬ、と暮らしておりましたから。

我々が忙しく、裏方にて、走り回ることで、瞬間での悲しみを忘れられる。

というよりも、そうしなくちゃやってられないのかもしれない。



祖父は、昔の時代を生き抜いたひとですから。

なんでもするひとでした。

カメラが好きで、映像を撮るのが趣味。

ものづくりも大好き。なんでも作っていたね。

エンジン用ピストンを加工して作った灰皿、今でもわたしが使っているよ。

お酒が大好きで、最後まで焼酎を飲んでいたね。

病気でお酒を飲むことを止められていたとき、お湯割と言って、ただのお湯を出していたことは許してくれるかな…

なかなか酷いこと、してたなぁこれ。

煙草も好きでしたが、ある日、急にやめましたね。尊敬します。

そういえば。

遺品整理中にこんなものも見つけたよ。

ひどいこと書いてます。
幼少期のわたしは残酷。

大切に保管してくれていたんだね。

おとなになった今。この優しさが嬉しくもあり、表現できない悲しさも感じたよ。



死ぬということ。

いつかは、誰にでも訪れる、

究極な“平等”。

考えても仕方がない、それでも考えざるを得ない。

答えはない。

遺されるもの。遺されないもの。

遺す必要なんてないのかもしれない。

宇宙規模で見たら、わたしたちは塵と同様。

それでも、わたしが生きている間は、記憶の中で生き続ける。

あなたが、一番愛して、可愛がっていたこの子にも。

いつかかえってきてね

違うカタチで、生き続ける。

あなたの孫の、私の兄は。

あなたの蝶ネクタイを身につけて、式を行いました。

あなたの孫の、私は。

あなたの使っていた、ネクタイピンを身につけて、教壇に立っていました。

あなたの財布も、今でも使っている。



生きるということ。

死ぬということ。

平等にやってくる。

いつか死ぬ。

でもそれは、きっと今日ではない。

それまで、生きるだけ。

戯言

どうにも。

私は“かわいい”が好きです。

かわいい
が好きです♡

おてんば姫!
ひ、姫!?
姫ーーー!!

一周忌の念仏中に…

「おぎゃー!」

と、泣いていました。

そりゃ、じいちゃんも向こうでニコニコだろうなぁ。

かわいいなぁ、姫。

今日は、おやつ、ご飯を食べたのち、まだ足りない!と泣いて泣いて、泣きまくる。なんてかわゆいのう・・・

という戯言、いや、惚気に近い。

祖父と姫は、直接会ったことはないけれど。

大きくなったら、私が話すから。

記憶を伝えていくから。

型おくれになんて、させないから。

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