素晴らしい日々

どうしようもないこと
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「素晴らしい日々」by 時速36km

昔考えたことがあります。

仲の良い人。好きな人。自分の家の近くに住めばいいじゃん、そうすれば、すぐ会えるじゃん。って。

どこかでスイッチが入るんです。


今まで出会ってきた人の中で、私が死ぬまでに関わっている人は、どのくらいいるのだろう。

反対に、今まで出会ってきた人の中で、誰が私の死に際まで関わってくださるのだろう。

言い換えるのならば、

思い出になってしまう人と
そうではない人。

些細なきっかけで、もう二度と会わなくなってしまう人。

ありがちなお言葉ですが、出会いと別れは紙一重。(しょうもない公教育の場で聞き飽きましたねけどそうかもしれない
あるきっかけで出会う人もいたら、あるきっかけで別れ、二度と顔も見ない。思い出話のキャラクターと化す、あるいは、思い出されることもない人。

まだ、私も二十代ではありますが、既に思い出となっている人はたくさんいます。なりかけの人も。思い出せない人も。高校3年生の時に永遠のお別れしちゃったあいつも。

そんなことを、眠れない時に、ふとスイッチが入り、考えてしまうのです。あぁ情けない。


これは、高齢者。祖父母と話していた時にとても感じたことではあるのですが、現代では昔と比較すると幅広い選択が可能となっています。そのため、自分の居場所を様々な場所に作ることが“可能”です。
ただ、世代が違えば、そうでないこともある。例えば、どちらかというと、比較的高齢者の方達は、地元に根付き、地元で生きる。これは上で“可能”と書いたように、現代でもその選択を取る人もいますよね。小学生、いや保育園の時のメンツから変わらない人。
さて、祖父母たち世代はやはり、比較的ある一定の場所に、根付く生き方を選択した(選択せざるを得なかった?)ため、交友というのは、一定。波が比較的少ないと感じる。そういった居場所はいわば物理的に近辺にある。

ただ、私はどちらかというと、そうではない。これまでの人生で、ある程度環境に恵まれていたこともあり、海外を含め、いろいろな場所で種を蒔いた、気がする・・・。そうなると、やはり知り合った人らは、てんでバラバラ。そりゃそうよね。自分自身も結局、なんやかんやありつつ地元(で無職して)にいるわけですから。
また、現代の若年世代も、比較的以前と比べ、さまざまな場所に居場所を作ることが可能になった(そうせざるを得ない場合も)と感じます。特に、学校選び。これは県外への進出は、今では優秀層?では多いイメージです。
そうなると、本来、出逢わなかった人同士が出逢う、ということになるわけです。当たり前ですね。何を評論家ぶってんだ!さてさて、ですから、必然的に、離れ離れになることが多いです。ただここで申し上げた「離れ離れ」は、物理的な距離ということです。人によっては、それでも交友が続く人も居ると思います。実際私にもいます。
それと正反対に、すぐそこに住んでいるのに、会おうともしない、思い出さえもない人もいると思います。私もいます。

そんな莫大なこと(?)いや、矮小かな?そんなことを考えると、自分の思い出というのも、何だか面白いものです。ふと一人。思い返して、あんなことあったな〜。と。思い返すわけです。
そして!ここで、次のフローに分岐が掛かるわけです。

あんなことあったな〜。そして、次に3つのパターン。

①あの時みんなアホだったなぁ〜 次また違うアホやろうぜ パターン
②あの時みんなアホだったなぁ〜 パターン
③そう言えばこれにハマっててさ〜 パターン

それぞれジャンル訳すると、

①は地続きな印象です。記憶の更新があるのです。

②は思い出です。思い返すだけです。それ以降の記憶の更新はない。

③は、記録さえない。


どれが良いとか、3つの中であるパターンが多いから良いとか、そういう話ではない。

自分が特定の人に対して、例えば①のパターンでありたいとか、そういう話ではない。

ただ無意識の内に、多分結構残酷な選択をしているわけです。

それがどうとか、悪いとか、そういう話ではない。

ただ、だからこそ人生って面白いなと思う。


上で書いたように、物理的な距離が遠くとも、数ヶ月ぶりの連絡でいぬの写真を送り合える人もいる。泣いた本を教えてあげることができる人もいる。ヤバ人と出会って笑い転げた話をできる人もいる。

逆に、いくら当時に意気投合しても、いくら経っても指が動かない、そもそも連絡先がない、声色も思い出せない人もいる。


いつからそんな風になったんだろうな


私は、幼少期は誰とでも隔たりなく人と関わることに抵抗はなかった。今でもそう。

ただ。維持に関して。すぐリセットする癖がある。

あぁもう関わらない、会わない。と思うと、今は簡単ですね。
SNSを消す。
それだけです。
結構、頻繁にしてしまいます。




なぜだか、泣きたくなります。
むしろ、泣きたくない日なんてないけれど。
夜の道を走っても。誰かとの約束なんてないし。

斜に構え過ぎてしまったからなのだろうか。

自分の選択が間違いだらけなのか、途方もなく不安と後悔に苛まれることがあります。

でも、こんな素晴らしい日々が流れていく。

悩んでいても仕方がないのです。

生きていくしかないのです。

与えられたカードで戦うしかないのです。

与えられたカードを選択していくしかないのです。

そのカードを吟味する余地はないのです。


今日も手探りで、扉をあけて、右手
手探りだけで灯す

以上

だいすきな四万十川。素晴らしい日々だった
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