Wind Climbing 〜風にあそばれて〜

個人的に好きな記事
「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」by 奥井亜紀

どうにもならない今日だけど
平坦な道じゃきっとつまらない

きみと生きてく
明日だから

這い上がるくらいで
ちょうどいい

奥井亜紀「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」


私は、
そうは思いません。


どうにもならない今日だけど

誕生日を迎える度に

何を祝うのかが ずっと

ナゾだった

奥井亜紀「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」


結局、どうにもならない今日ばかりなんです。

残念ながら。

悔しいですが。

救いはありませんが。

平坦な道なんてないですから。


それでも、今日まで生きてこられたこと。

今日という日を迎えられたことに。

おめでとう、と伝えたい。

それだけの記事です。

出逢い

大学での出逢いでしたが。

正直、出逢い、というものはあんまり覚えていません。

覚えていません。

覚えて、いません。

おぼ、えて、い、ません。




覚えて、、、いません😭

詳細は、えっと。うん。そやな!





だいぶ、申し訳ない。




うーーーーん。。。

あの一年は長く一緒にいたものですから、まぁ出逢いのきっかけなんて些細なことでしょう。

とやかく、わたしたちは、一般とは少々異なるルートで大学へ進学したものですから。

些細なこと、なんて申し上げましたが、大切な出逢いでしたね。

(その具体的な出逢いは覚えていないんですが)

ただどうして、よく喋るようになったのかは、うん。あんまり覚えてない。

それは置いといて・・・

知り合ったのち。

単位取得に関してだったり、教員免許取得の道のりだったり、これからの進路だったり・・・

自ら選んで来た道ではありましたが。

ワケノワカラナイ、意味のわかんない教授共がいる、素晴らしい教授陣、未知の世界にほっぽり出されたわたしは、心細かったですから。

同じように、そんなルートで迷い込んだ後輩がいたら、それは気になりますよね。

同じように、苦しんでほしくない、と思うのが、普通、うん、それは私にとっては普通です。

ですから、そんな経緯で出逢ったのでしょう(?)

出逢いに関しては、もう勘弁して・・・

記憶

見えなくなってしまったものは

二度とかえらないと知ったとき

年を経ることに後悔と

一日が過ぎていく恐怖を感じた

奥井亜紀「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」

きみとの記憶は、苦しみと笑いの半々の記憶です。

ですから。

私は戦友と書きたいのです。




ともに、同じ環境で、学問を追及した記憶。

無理難題(?)を師匠に突きつけられ、オンドリャー!と言いながら、手を動かし、パソコンを睨み。

昼になれば弁当を買いに行き、時には外食(牛丼ですね、マックもか。)、夕飯もよく一緒に食べましたね。やよい軒、わたしの住む地域の近くにないのよ。

夜遅くなれば、きみは明日の通学を悩みながら、車で帰ったりと。

夜は冷えたからね…

あそこは、寒いからね…

でも、なんだかんだ一緒に乗って帰るあの数分の時間、わたしは好きでしたよ。記憶に強く残っていますよ。あの僻地。

夜通しで、語り合った記憶もあります。

研究室で、日の出を見ることになるとは、、、

いや、修士では普通なのでしょうか。

結局、答えは出なかったけれど、同じ意見と異なる意見を交わし合う、という行為が好きでした。

真剣に話し合うことって、できる人とできない人がいますからね。

ともに、誰かを心配するということ。これに時間をかけられる人なんて、いないです。

あ、そうそう。訳のわからぬ研究のひとつで、大学周辺のヘドロが溜まった池での水採取をしに行ったのは面白かったなぁ。

ゴジラvsヘドラのヘドラくらい、きったない池を回ったね。

ゴジラ対ヘドラ: /ゴジラ・ストア | GODZILLA STORE
ゴジラ対ヘドラ:

(ヘドラの見た目はグロいので、載せません。けど話はおもしろいですよ。オススメ)

加えて、あのとき。

我らがセンパイの就職した会社のキャップを被って、完全に変質者の行動でしたね、アレ。あかんよな。おもしろかったからいいか。いやよくねぇか…

あと、きみの研究のボコボコになった土はキモかった。土をレンジでチンするって、結構ヘン。

誰かが言ってたね。「〇〇、オマエ、それヘンだよ…」って引くやつ。


わたしの一服にも付き合ってくれて、「これは言えへんケドな・・・」という話をお互いにしてたのは、今考えたら結構笑えるね。

訳のわからぬことを抜かす教授をいじったり、気にかけたこともあったね。

今でもいじってる、気にかけてるね。

それと、些細なことだけれど、きっともう覚えていないだろうけど、共通して好きなアーティストの、ピアノ演奏動画を聴いてくれたこと。ふたりして、「エーナーコレ」と言ってたのは、結構わたし嬉しくて覚えています。
実は、ひょんなきっかけから、あの奏者と連絡が取れまして、完全にわたしのリクエストですが、「66号線」を練習してくださっているそうです。きっと誰もわからない話。

研究に関する学会で、訳のわからぬ言葉が飛び交う環境も、なんだかんだ楽しかった記憶しかないよ。あのバズーカにもお世話になったよね。楽しかったなぁ。

準備は、ね。地獄だったけどね。

私の地元へも来てくれて、それは嬉しかった。暑かったなぁ、あれは。

もう少し時間を取って、色々見たかったな。また来てもらえばいいか。私が今度行けばいいか。

思い出話に花が咲き、新たな記憶が更新されたことが、何よりも嬉しかった。

鰻重、また食べよう。



私は、きみの真面目で芯を貫く性格が好きですよ。

私を含め、わたしたちが出逢ったあの環境にはそういった人が、、、いませんでしたからね。

今思い返してみると。

あの頃。

不満と愚痴を溢しつつも、とっても楽しかったです。わたしはそう思います。

当時から、今でも思っていますが。

あと一年あったら、もっとおもしろかっただろうなぁ、って。

それぞれの歩む道が定まって、故郷も違うみんな。

いつかは別れが来るのは、彼の地へ行ったときから覚悟はしていたけれど。

もう一年あったら。

もう一年早く、あの環境にいたら。

なんて、ありもしない未来と過去を思っていました。

変な意味はないけれど、修士に行く進路を選んでいたら、わたしは博士に進んでいたかもしれない、なんて戯言。

苦しみと笑いの、半々の記憶と。

はじめに書きましたが。

改めて思い返すと。

笑いと楽しさの、半々のような気がしてきました。

これから

これからの未来は、予測が困難です(これはボケです。気づくでしょう。)

なんてことは置いといて。。。

これからの未来は、というよりも、今いる現在も、それぞれ生きる道が違います。

現に、わたしが初めに離脱しましたから。

ですが、この時代。容易につながることができます。

反面、容易に別れることもできます。

容易に、忘れられることもできます。

よくわかっていると思いますが。

わたしにとっては、大学での多くの別れが意味することは、それぞれが遠方へ旅立つことでもありました。

ですから、心配になるわけです。

逆に、心配していただくこともあります。

近くにいたって、できることなんてなにひとつ、ないけれど。

誰に対しても、わたしができることなんてないけれど。

それでも、わたしは馬鹿だから。

人の苦しさと痛みを知りたがる。

当事者が解決するしかないのに。

わたしは馬鹿だから。

力になりたがる。

背負っている荷物を分けてもらうことなんて、できないのに。

転んでできた傷のいたみに

いつか、笑い話にかえられますように。

今は、待つ時期なのかもしれません。

もしかしたら、ずっと待っているのかもしれませんが。

ずっとずっと、待ち続けて、悲しみの果てにいるのかもしれませんが。

人の苦悩は、その人にしかわからないから。

ですが、どうでしょう。

わたしは、あの当時の、たった一年間の出来事は、今は笑い話にできる気がします。

きみは違うだろうか。

今の出来事や、ずっと抱えていること。

これも、同じように笑い話にできる日が来るなんて、そんなことは思いません。

だから、わたしが言えること。

きみしかわからない、悩みと気持ち悪さを抱えてでも、今日という特別な日を迎えられたこと。

この事実に、おめでとうと伝えたい。

見えなくなってしまう何かは、かえらない。

そんなことは重々承知の上。

いいことなんて、なにもない。

わたしの文章が正しいのかさえもわからない。


こんな世界で。

あぁ。このために頑張ってきたんだ。

と思える日が来ることを祈って。

誕生日って、こんな世界でも、

今日まで生きてこられたことを、祝うんだろうなぁって。

おめでとう。

いつか、その辛さも忘れられますように。

どうにもならない

今日はせめて

笑い話にかえられますように

きみと生きてく明日だから

這いあがるくらいでちょうどいい

奥井亜紀「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」
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