ドリー

どうしようもないこと
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「ドリー」by なきごと

ドリー、おやすみ

また会えた時には

ドリー、おやすみ

キミのはなしをしよう

ドリー、おやすみ

そっと頭を撫でた

ドリー、おやすみ

これで最後なんだね

なきごと「ドリー」

遺伝子的に同一な
自分自身がもうひとりいたら、

あなたは、どう思いますか

クローン羊 ドリー
“Dolly” Cloned Sheep
https://www.nbcnews.com/mach/science/two-decades-after-dolly-sheep-here-s-what-we-ve-n724096 より
Two decades after Dolly the sheep, here's what we've learned about cloning
The breakthrough that led to Dolly's creation left a lasting impact on both the public and the field of developmental bi...

はじめに

まず、私はこの分野、生物学・倫理学について、全くの素人です。

知見も全くございません。

(私の専門は工学と教育学、ものづくり教育学ですから…)

そのため、間違った意見や考えを記述することもあるかと思います。

素人が、勝手に述べている。とだけ思っていてください。

もし、気分を害されたり、素人によるしょーもない考察が不快であれば、ブラウザバックしてください。

本題の前に

私が、クローン羊 ドリーに関心を持ったのは、2、3年前です。

本記事タイトルのアーティスト

「なきごと」を知り、とても心地よい演奏に聴き惚れていたとき、この曲と出逢いました。

この歌詞には、ドリーへの思いを綴った曲でもある(らしい)そうなので、必然的にクローンというものに関心を持ちました。

そこで、こんな絵本を読みました。

クローン羊のつくりかた
著ヘイゼル・リチャードスン
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1764
クローン羊のつくりかた
ヘイゼル・リチャードスン 千葉茂樹訳A5判並製 120頁定価:1,320円(本体1,200円)4-7949-6594-X C8045 〔2003年〕1996年、イギリスでクローン羊が誕生し、最近では、クローン人間の是非が議論されるなど、バイ...



また、生物育成・飼育技術について、授業を行った際にも関心を持ちました。

ご存知だと思いますが、遺伝子組み換えによる品種改良。

パッと簡単に、私たち、うん、

食物連鎖の頂点に君臨する“我々”が、想定する恩恵・ベネフィットとしては、

食味の担保、安定的な供給及び食材量などの規格の安定、生産量の向上、栽培・飼育経費の軽減、栽培・飼育に関わる農家等の労働時間の軽減、といったところでしょうか。

他にも、飼育、いわゆる「動物」が関係すること。

こちらも、ご存知かと思いますが、下のようなマシンも導入されているのも事実です。

マシンによる自動化の様子
https://www.orionkikai.co.jp/rakuno/robot/pro/
DAIRYPROQ | オリオン機械 酪農機器

なんか、このへんをまとめて授業をした覚えがあります。

もちろん、学習者に合わせた授業であったため、私も深入りせずに、なんとなくな授業でした。

これ、教育者にはわかるでしょう。しょうもない道徳授業、みたいな。

生きている”財産”としての勘定

改めて、生命倫理について調べていたところ、大変興味深い論文があります。

犬猫などをめぐる生命倫理
豊田工業大学

https://www.toyota-ti.ac.jp/Lab/Kyouyou/Humanities/DogEthics.pdf

また、「生きている財産」となった動物の権利を人間は尊重しなければならない。

もし、「生きている財産」の権利が侵害されると、

その動物の代理人が訴訟を提起することとなる。

コモン・ロー上の所有者が「生きている財産」

の権利を侵害した場合には、裁判所が後見人を指名し、

「生きている財産」のために訴訟提起などをさせる。

「犬猫などをめぐる生命倫理」p.35 一部抜粋

また、これが興味深いことにですね。

「生きている財産」

にも、定義があるそうです。

しかし、すべての動物が「生きている財産」になれるわけではない。

「生きている財産」となる動物の条件として、

フェイヴァーは、

人間に所有されていることと、

脊椎動物であることの2つをあげる。

「財産」という名称が示す通り、人間に所有されていることは必須の条件となる。

脊椎動物であることを条件とするのは、法制度を変革するためには資源を集中する必要があるためである。フェイヴァーは、現在のアメリカの動物虐待防止法では脊椎動物が保護されているため、まずは脊椎動物を「生きている財産」とする理論を提唱する。

なお、将来的に「生きている財産」に脊椎動物以外の動物を入れる可能性は留保している。

「犬猫などをめぐる生命倫理」p.34 一部抜粋

これは、すごいですね。大変興味深い。

よければ読んでください。私の記事よりも!!!

あくまで、本論文では、犬猫などをめぐる、とありますが、動物全般にも言及しています。

ただ、問題は別にあります。

「種別」です。

種、そのものに差別が生まれています。

そこに密接に関わってしまうのが、この世の神的存在である、我々人類です。

人間中心主義として、謂わば、「犬や猫」といったペットに成り得る、うん、言葉を選ばずに申し上げるとならば、人間が可愛いと感じる動物でしょうか。

そういった動物に対して、我々、いや、ニンゲン様は特別扱いをしてしまいます。




私は弱い人間ですので、人類に関わる“差別”の議論に抵抗があります。

私は弱い虫ですので、大好きな動物に関わる“差別”の議論に関心を持ってしまいます。

ドリー

結論

さて、今からさらに素人知識による、本題に移りたいと思います。

クローンについて、先に結論を持ってきます。

私、個人的見解として、の結論です。

結論、わかりません。

ただ、違和感と不快な気持ち、それともどかしい。それは私自身にとっても、周りの人にとっても、動物、そして、私のいぬもです。

正直、私も病気関係で、お世話になっているからです。

この結論に至るまでの過程を、少し書きたいです。

クローンについて

ここからは、詩ですね。あまり生産的でない。

まず、クローン(Clone)とはどんなものなのか。

ここ、語弊があると怖いので引用します。

遺伝的に同じ性質を持つ生物集団をクローンという。

核はその生物のすべての遺伝情報をもつため、

核を取り除いた卵細胞に別の固体の細胞から

取り出した核を移植すると、

核を提供した個体と

全く同じ遺伝情報をもつクローンを生じる。

東邦大学 生物分子科学科 HPより抜粋
クローン
東邦大学理学部 生物分子科学科の高校生のための科学用語集です。クローンとは、核には生物の全遺伝情報があるため、核を取り除いた卵細胞に別の固体の細胞から取り出した核を移植すると、遺伝的に同じ性質を持つ生物ができる。

要は、“人工的に”、生殖行為なしで産まれ、同一の遺伝情報をもつ生物のこと。(あってるよね!?)

父・母、どちらでも構わないが、というよりもこの呼び方が正しいのかもわからないが、全く同じ、コピーであること。

ただ、育成環境により、同じ性格や病気、気質になるとは、限らない。

そして、よく語弊を招きがちだが、というよりも現代の医療技術の発展具合でわからない、といったところが妥当だろうか。

クローンだから、衰弱も早い

なんて言葉。

厳密には、確定なことは言い切れないが。

細胞の中にあるDNA?は現代の「医療技術でわかる範囲」には、異常は見られなかったそう。

ただ、現代の医療技術でわかる範囲である、こと。

そして。

世界で最初に作られたクローン動物は羊で、ドリーと名付けられている。

Dolly
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/klon98/index.htm
クローンって何?


ドリーは、6歳で安楽死させられました。


倫理とは

上述した絵本の中でも綴られていた記憶があるが、確か、一般に想像するほど、クローンは難しい技術ではなかったような記憶があります。

技術的には、このドリーのクローン技術を人間にも転用することは可能だそうです。

ただし、むやみやたらに使うことは、倫理的にどうか、ということで、現在は禁じられています。

今後はどうか、知りませんがね。

そのため、私は改めて思います。

これもよく議論されることですが。

倫理、ってなんなんでしょう。常識も、そうか。

いや、ここだけ切り取られて、言葉尻を取られると、賛成派や!なんて思われそうで、誤解は招きたくないのですが。私は答えはないんですが、この前提で。


クローンや品種改良といった、“いきもの”を構成するDNA、生物の“地図”を弄ること。

こちらも、上の見出しでも書きましたように、結局、詰まるところ生物の種別により、私たち人間のご都合主義による、差別で作物なら良い、動物ならダメ、でも食事用、わたしたちの食料を供給するためならよし。みたいな倫理なんですよね。

だからと言って、品種改良前の、スイカやバナナ、ナスを食べて生活しろ!と言われても難しいところではあります。

また、こういったDNAを弄るような、生命工学により、医療の発展もあります。そのため、私たちも知らないところで、特に持病持ちな私は、benefitを受けているのも事実です。

ですが、その反面。犠牲になっている生命もいるのを、忘れてはいけない。

その犠牲となった生命。それは倫理に違反するのでしょうか。

その倫理を定めるのは、世論ですか。

結局、エゴでしか、人間は生きることができないのは事実でしょう。

また、倫理や常識、モラル、マナーというのもエゴの上で成り立つものなのでしょうか。

差別も、結局なくならないものなのでしょうか。

ドリー

ドリーは、自分がクローンであることを、

知らないまま産まれ落ちたのでしょう。

詩的にいうのならば、もしかしたら知っていたのかもしれません。

周りから、祝福されることも、なく。


動物だからといって、尊厳はどうなるのでしょうか。

私が、あなたが、誰かの複製だとしたら、どう思いますか。

オリジナルが存在するということ。

私は常日頃、こう思っています。

私は、81億人の中のひとりであり
それは奇蹟。

でも、そのひとりでも、いっぴきでも、いっとうでも、いちわでもない。

怖いというより、不可思議さ。

それが自然の中より産まれ落ちたのなら、まだしも。

生物界の天下の“人間”が“つくりだして”しまったもの。

とても素敵なイラストを、モノクロのコピーをしたよう。

いや、違う。

産まれも遺伝子情報さえも知られた上での操作だ。

この、ドリーは、今からおおよそ30年ほど前の話である。

一歩、人は道を外れたのかもしれない。

死者を蘇らせることができる技術、けれどそれは本人ではない。

再生医療により救われる命が生まれた技術、まさに死に抗う学問。

そんな一歩の背中を押してしまった、そんな世界へ突き放したドリー。ただ、それはヒトのせい。

いのちをヒトにつくられた。

産まれた時から、死後までもずっと、研究、議論され、死ぬことさえも許されない。

ドリー。

ドリーをつくった人も、去年死んだ。

ドリー。

忘れられていくのか。

生命。自ら望んで産まれてくるいのちはない。

生命。しかし、その周りは産まれることを望む。

生命。それは平等でも公平でもない。

ドリーは、つくられたいのち。

祝福はあったのか。

期待はあっただろう。でもそれは、どんな願い?

研究者の実績?新たな技術の期待?

平等でも公平でもない生命。

そんな世界で、“ヒト”によって作られた生命。

でも、どうすればよかったのだろう。

ドリーを救う術なんてなかった。

ドリー。

おやすみ。

うまくいえない

キミの命は1つではないから
代わりは沢山いるんだ
そんなことを言われた気がしてさ
使い捨て空っぽなボクなのさ

独りよがりがキミを殺した

なきごと「ドリー」

結局、ふわふわしたまま、記事を終えます。

なぜ、ここでドリーを思い出したのか。

クローンとは異なるのですが、同じく生命倫理に関することについて、考えたからである。



もし、あなたのたいせつな人が、治る見込みのない病に罹ってしまったら。

その事実を伝えますか。

伝えずに、治らないまま、苦しむ姿を見ながら、治療を続けさせますか。

もし、あなたのたいせつな人の、うまれてくる子どもに、障がいがあったら。

その子を産みますか。自分が先立った後、この辛く厳しい世の中でも、生きていくことに背中を押してあげますか。



もし、あなたが、自分に可能性を見出せなかったら。

人生をやめますか。

特に病んでいるわけではありません。

最後のは、生命倫理に関するかどうかも知りません。

生命に関係することは、なんだかこの世の中、発言できません。

私も特に、強く自分の意見を持っているわけではありませんから、発信するつもりもないのですが。

ただ、ニンゲンのエゴで産まれ、安楽死させられた、ドリーを想う。

わけもなく、この世界に産まれ落とされた。

それは、もしかしたら、わたしたちも同じかもしれないが。

それでも。

自分自身がOriginalではないドリー。

別で、Originalが存在しているドリー。

copyであるドリー。

copyでしかないドリー。

どう足掻いても、copyにしかなれない。

imitation、模倣品、複製、模造品、写し。

偽物

何者にも、なれない。

ドリー。

いつか会えたら。

私が、きみの頭を撫でるよ。

私が、きみの話をするよ。

私が、きみを抱きしめるよ。

キミの胸に耳をあてた
まだ暖かいカラダには
似合わないほど鼓動は
とても静かだったんだ
冷たくなっていく
遠くなる

何もしてやれなかった

なきごと「ドリー」
きみが笑っていてくれるのなら
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