Hey, brother, there’s an endless road to re-discover.
なぁ、兄貴。知ってるか、終わらない道が無限にあるんだ。
Hey, sister, know the water’s sweet but blood is thicker.
なぁ、姉貴。血液の繋がりというのは、何にも変えられないんだ。Oh, if the sky comes falling down for you,
There’s nothing in this world I wouldn’t do.
おっと、もし空が落ちてくるような、
どうしようもないことが起こっても、
俺がなんでもやってやるよ。What if I’m far from home?
Avicii「Hey Brother」
Oh, brother, I will hear you call.
What if I lose it all?
もし、遠く、遠く離れたところでそんなことが起きたらどうする?
兄貴、それでもきっと声だけは届くだろう。
全てを失っても?
Oh, sister, I will help you out!
Oh, if the sky comes falling down for you,
There’s nothing in this world I wouldn’t do.
姉貴、それでも、俺は助けに行くよ。
空が落っこちてきても。
できる事は全てやるさ
私が感謝したいことのひとつ。
兄の、弟として産まれたこと。
とても、光栄で、嬉しいことである。
兄弟旅行
旅記録
サムネの通り。
縁があって、大阪万博へ行って参りました。

ウォー、大変暑かったです…
せっかくですから、いくつか写真をアップします。
久々の更新で、鈍っていますね。

や、流石に圧巻でした。
建設当時は、色々と言われていたそうですが。
素敵でしたよ、暑かったけど。
暑かったけど!

こちらは、null^2というパビリオン。
落合陽一 氏が企画したパビリオンです。詳しくは上リンクから。
null というのは、ドイツ語で、ゼロや無、などの意味を持ちます。
無から価値を創造する、と言ったコンセプトのもと、開設されていました。


(JR西日本か九州のキャラクター?)


夢洲(ゆめしま)
私、ちょいと前まで、ゆめす、と読んでいました。お恥ずかしい。
ゆめしま、ですね。
オイ。この記事を読んでいる人ォ。同じように読んでいたやつ、いねぇよなァ????
いたら、こっそり教えてください。
さて、まぁ、万博についての言及はこれくらいで良いでしょうか。
え、なぜだと思います?
ほとんどパビリオンに
入れなかったからだよ!
いや、まぁ、それはいいんです。
本来の目的は、別にありましたから。
本来の目的
兄との時間を大切にすること。
本来の目的です。
私は、これから、きちんと素直に生きたい、と思っています。
建前や本音もありますが、大事なことは濁さずに表現します。
兄との時間が、大事なんです。
どこかでも、いつか記事で綴った気がします。
私には兄がいます。
幼少期から仲が良いです。胸を張って言える。
二人で、
免許取り立ての兄と、海鮮と博物館を目的に、海へドライブへ行きました。
兄の初、高速道路。めためたに怖い思いをしました。車線変更をしても、ウィンカーを消し忘れたこと、未だに覚えています。あそこでぶつけた、兄の車のキズ。今は、私が乗っているその車。まだ、目立つところに残っています。悪くない。
演劇を見るためだけに、べらぼうに高い宿に泊まりがけで旅行へ行きました。
あれは、とても良いホテルでした。最上階のバーで、酒の飲み方も知らない私は、ベロベロに酔っ払い、一瞬で朝を迎えた覚えがあります。往復の車移動では、私が小テストが近く、建設材料学の勉強をしていました。
いつかの年越しを、海外で過ごしました。
あれは、繁華街がとても臭かった。お腹の調子を崩しがちな兄は困っていましたね。写真に映る表情がわからない、と意味不明な嘆きをして、意味不明な表情ばかりの写真が残っています。兄の重たいカメラを持っていきました。
ディズニー・シーに行きました。
あれは、大変、大変暑かった。私の進学が決まり、はっちゃけていました。兄弟だけ、というのもあり、気も使わず、今はなきファストパスを取るために走り回っていました。きっと、ディズニーの思い出は、誰と行っても、あれを越すことはないだろう。
私の大学の一人暮らしの、引き払いに来てくれました。
あれは、ちょうどWBCがやっていた頃。おすすめのもんじゃ焼きを食べながら、大谷選手がトラウト選手から三振を取り、世界一を獲得した瞬間に立ち会いました。帰宅道中は、いくつかの観光名所を周り、当時流行っていた、仮面ライダーポーズの写真がたくさんあります。
私の病と真剣に向き合ってくれました。
ここに書くのは適さない、私にはできない選択を取ろうとしていました。
私の仕事を心配した友人からの連絡を受け、退職するように図ってくれました。
大切な友人が、兄に連絡を取り、間接的に連絡を取り持ってくれました。
私が、今、ここにまだいられることは、そのおかげかもしれません。
思い出は、全ては挙げきれません。
2009年夏の甲子園をテレビで応援していた頃に起きた鼻くそ事件、スケボーにハマって工場でくだらない練習をしたこと、流星群を見るために夏の真夜中地べたに寝転がって眺めたこと、留学先に会いに来てくれたこと、その資金を必死にバイトで稼いでくれていたこと、ピアノでこち亀の曲を懐かしんでいたこと、学生時代に部活を辞めるときに驚くくらい怒ったこと、喧嘩したあとの焼肉でもやしを食べまくって私が勝手に怒っていたこと、鶏皮の唐揚げをひとりで平らげやがって怒ったこと、バドミントンをしている最中にため池に落ちて勝手に怒って私が気まずくなったこと、名前じゃなくて「お兄ちゃんと呼べ」と怒られたこと、キッチンペーパーのホルダーを取られて泣いたこと、ストーブの前で顔面を蹴って泣かせたこと、Lineのアイコンが兄弟二人の写真だったこと、野球の練習に付き合ってくれたこと、結婚式で私を呼んで、退場したこと。
挙げきれません。
兄にはもう家族がいます。
以前のように、兄弟“ふたりだけ”で、時間を設けることは、現実的に難しいです。
ですから、今回の機会は、とても、私にとって嬉しい時間でした。
万博なんて、どうでもよかったんです。

二人で、いつかのくだらない話をして、飲んで、歩いて、笑って。
それだけでよかったんです。
それだけがよかったんです。
そうしたかっただけなんです。
それが叶って、嬉しいだけでした。
何を話したのか、覚えていません。
それでも、楽しかった。
何を言っても笑ってくれる。
何を言われても、笑えてくる。
それだけ。

私の兄が、兄でよかった。
兄の、弟に生まれてよかった。
報告
さて。
一応、実は明日。
10月の一日より、ご縁がありまして、ついに無職を脱却することになりました。
長かった。
いろいろありました。
バイトもしました。
旅にも出ました。
出会いもありました。
この期間にしか、体験できなかったことがたくさんありました。
この時間は、費用経費でした。
周りは、無職なんて、縁のない方ばかり。
私は、捨てる勇気を得た。
そんな期間でした。
家族とも、友人とも、兄弟とも、大切な時間でした。
勇気を出して、進める一歩がある。
いつも通りの自分で、ゆっくりと、確実に、ゆるやかに、そう生きていく。
いまのくらし
変わらず、です。
更新が滞っていたのは、理由がありました。
今は内緒。
しっかりするためです。
きちんと前を向いて生きています。
4月に壮大な旅をしまして、その記事も書きたいと思っています。
また、明日より、再度昼食の弁当を作る生活も始まる…予定です。
月一で更新しようと思っています。
嬉しいことに。
こんなに更新が止まっていても、見てくださる方がいます。
海の中に、ぽわっと発信していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
自慢の弟と思われるくらいに。
本日は、亡き祖父の誕生日。
明日も生きる。