知人の患っている癌が
転移してしまいました
どうしようもできないこと
既に、非公開記事にしてしまいましたが。
以前、記事に少し登場している方です。
叔母の知り合いです。
一緒に登山をしたり。
自宅で食事をしたり。
いつかの、琉球ツーリングの助言を伺った方です。
数年前より、乳がんを患っていました。
事情は把握していませんが、尊厳の問題でしょうか、
手術はしたくない、という想いから、別の治療をしていたそうです。
それが、今回。
肺と肝臓へ転移。
年始より、自宅へ招待する予定でありましたが。
身体が痛い、と連絡があったそうで、
また、本人の有給のタイミングもあり、
叔母とランチへ行く約束もあったそうですが、
それも体調不良が重なり。
まだ、二人は、今年一度も会えていないそう。
そして、検査へ行った結果が、上述したものだそうです。
*
どうしようもないこと。
そういった事は、たくさんあるのだと、
“大人”になって気づきました。
私、ひとりではどうにもできないこと。
当該本人でさえも、どうにもできないこと。
そのようなものばかりで、この世は構成されている。
むしろ。
そのようなものばかりしか、私は知らない。
叶わざること
病気だけではない。気がする。
諦めなくちゃいけないこと。
叶わないこと。
そういったことと、向き合わなくちゃいけないこと。
*
やりたくない仕事に、
従事せざるを得ないこと。
思い描いていた未来とは、
違う道を歩んでいること。
思い描いていたパートナーとは、
違う未来を歩んでいること。
叶わないと思いながらも、どこか心で、
想いを馳せる人がいること。
もう、戻れないこと。
時間だけが進んでいくこと。
無念。
惨め。
そんなもの。
*
それでも、きっと明日は来てしまう。
ノラネコ
横断歩道の白線以外は、マグマに見えていた。
歩道橋のタイルは、安全地帯に見えていた。
授業中に、テロリストが攻めてきて、あの子を守る妄想をしていた。
ノラネコは、どこから来て、どこへ行くのか、考えさえもしなかった。
近所にいた、眼の潰れたノラネコを、指差して笑っていた。
私たちは残酷だった。
私たちは、文明を築き過ぎてしまったのかもしれない。
大事なことを、見落としているのかもしれない。
明日、生きることだけを目標に、
明日、生きられることが、どれだけ大切なことか、
忘れてしまっている気がする。
だから、どうした。
といったところでもあるが。
明日が来ることは、不明である。
そう考えること自体少なくなっている。
私も含め、多くの人たちが。
私は。
早く死んでしまいたい、と思っていた時期もあったが。
今でも、時折ある。
それでも、何となく、
明日は来てしまって。
でも、
もし仮に。
一億あげるから、今日で人生が終わり、と言われたら、
そんな条件は断る気がして。
生きることの価値がわからなくなって。
私の明日に、一億以上の価値があるかなんて、わからなくなって。
でも手放す勇気なんてなくて。
捲し立てるように、
明日生きられる保証がない人が、すぐ近くに、
当たり前のようにいることが信じられなくて。
自分も“そのひとり”であることを、忘れてしまいがちで。
どれだけ価値のある、若い時間を虚空に費やしていることに、
情けなく感じてしまって。
あの時、自殺しなくてよかった
と思える日を探している
どうか。
どうか。
どうしようもないことばかりだけれど。
どうか。
どうか。どうか。
どうか、お願いだから。
明日を生きて欲しい。
くだらない旅の話を、また聞かせてほしい。
あなたのお陰で、果てのうるまへ行く決心をしたのだから。
わけのわからない外国人を連れてきて欲しい。
噂のあなたの盲目の父親と話をさせて欲しい。
また登山へ行きたい。
私も、生きていますから。
渇いた声で、笑い飛ばして欲しい。