大人になる
ということについて、再度考えてみる
いつかの記事
いつぞやかに記事にしたことがある。
これである。
1年、というと盛りすぎですが、まあ結構前に書いているので、
文章の読みやすさが違うかもしれない。
いや、だいぶ違うな…
文字、多い。
改行がないので、大変読みづらい。
辛いですね。読み進めるのは。
さて。
この記事では、数人から同じテーマをもとに、各々の意見を承った。
その内容というのが、
「大人になったと感じたきっかけ」
についてである。
非常に興味深い意見が多々集まり、
執筆
とまでいうとカッコつけすぎだが、
意見を集めている際は非常に楽しかった。
と、同時に。
自身は、
「大根おろしがけハンバーグ」
を頼んだときに、大人を感じた、
と、ふざけた内容を書いてしまって、何とも恥ずかしい思いをした。
気がする。
イマドキの言い方をしたら、
「顔ない」
ってやつですか?
どうでもいい。
ということで、改めて、私“のみ”であるが、
大人になったんじゃねーか、と思った出来事について、少し語りたい。
理由は特に、ない。
タイトル、回収
タイトル通りである。
完
なんて、終わりません。
結論。
私が、大人になったと感じたきっかけ、
として、最近気づいたこと。
それが、
お風呂は、清潔するのではなく
身体を暖める場である
と感じたことである。
私は以前より、バイトを始めました。
お堅い内容ででありまして、
久しくフルタイムで働くことの厳しさと、
昼休みをきちんと、“1時間”取れることができる嬉しさを、
この二つを噛み締めながら、パートタイマーとして勤しんでいます。
さて。
働く環境は、空調は喉がカラカラになるほど、充分に満たされた場所であるが。
勤務場所へ通う。
これが問題である。
色々と伏せるが、お堅い場所であり、
多くの人が押し寄せる場所でもある。
ということで、駐車場の利用ができない。
そ の た め
中学生の頃に、街へ繰り出すために使用していた、
誰も乗っていないであろう(と勝手に思っていた)バスを
この歳になって乗り継ぎ、通っている。
まあ、これはいいんですが。
帰ってきた際には、もちろんこの時期、
充分過ぎるほど身体は冷えている。
そんなとき、身体が、真髄の奥から、本能的に求めるのが、
一服だとか、腹を満たす食事だとか、そんなものではなく、
ただ、あたたまりたい。
それだけである。
お風呂に浸かり、ふー、と言っていると、気づいたのです。
お風呂は、身体を暖める場であったのだと。
当然、くだらないことでありますが。
そんな、くだらないきっかけで、
大人になってしまうのです。
いえ。
大人になってしまったと、
もどかしさに駆られるのです。