なかなか、語ることが難しいです。
私の感じたことだけを、少し綴ります。
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私は、広島県広島市にある、広島平和記念資料館、及び原爆ドーム(平和記念公園)へ訪れたことがあります。
他にも、広島県呉市にある、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)へ訪れたことがあります。
お恥ずかしながら、長崎県を訪れたことはなく、長崎原爆資料館へも行ったことはありません。
私が、当時、大変驚いたことは。
広島市。平和記念公園。また、その周辺。
その周りは。
ただ、普通の日常が溢れかえっていたことでした。
子どもが自転車を漕いでいる、お爺さんが一休みしている、サラリーマンが営業の電話をしている、お母さんが赤ちゃんを抱いている、チャラい人がうろついてる、杖をついた人が、遠くから眺めている。
周りには、大手電化製品店があり。徒歩圏内に、広島城があり。少し足を伸ばせば、市民球団・広島東洋カープのホームグランド、マツダスタジアムがある。
そこには、普通の、なんら変わらない、日常があったのです。
車は行き交い、若者はイマドキの話で笑い合い、仕事で疲れた人もいる。
当たり前のことです。
当たり前なんです。
ただ、行くまでは知らなかった。
平和記念公園の真横にも、原爆ドームの真横にも、平和記念資料館の真横にも。
普通に、日常を暮らす人がいる。
呉市にある、海事歴史科学館(大和ミュージアム)には、ある目的があり、訪れました。
それは、零式艦上戦闘機を見るためでした。
零戦、ゼロ戦と呼ばれる機体です。
一度、この目で見たかったから。
三菱重工株式会社と中島飛行機株式会社の共同で製作されたものです。
中島飛行機、というと、今でいうスバルです。
設計者は、堀越二郎。
堀越二郎といえば、ジブリ映画、『風立ちぬ』の主人公です。
私は小説でしか読んだことないため、映画は知りませんが。
呉市。当時、軍事港として、重宝されていた場所。
空襲被害もあった場所。
それでも、先述した、広島市のように、当たり前のように、普通の日常がある。
子どもも大人も、何ひとつ、私の住む町と同じく暮らしている。
当たり前。
私が在籍していた大学にて、貴重な講義を受けたことがあります。
それは、広島市平和記念資料館の館長を務める方の講義です。
平和記念資料館の展示は、ある期間によって展示内容が変更されます。
私が見た当時、講義を受けた当時、その館長の監修によって、ある方針で展示を決めていたそうです。
その館長が、現在の資料の展示の方針を説明してくださりました。
それが。
「一人称視点での原爆」
上部、リンクにもありますが。
被爆の実相を伝えるために、都市への被害とともに、“人間”への被害に重点を置き。
さらに。
もし、たった今、私たちがいるこの場所へ、惨劇が起きたと想定したら、という展示内容になっているそう。
特に、被爆者の高齢化、被爆体験の語り部不足、継承・伝承の問題、こういった課題に対して。
自らが、被爆者となる。
そんなことを講義で仰っておりました。
甚大な被害を示すとともに、その脅威によって齎された被爆者の心情。
それらを、“人間の視点で”語る。
とても、心に残っている展示がある。
資料館へ入ったとき。
最初に目にする写真。
ある、小さな女の子が、包帯と血に塗れて、身体に火傷を負い、絶望な顔をして、何かを訴えかけるように、こちらを見ている。
展示を抜け、最後の出口。
数年後の写真。
素敵な笑顔を浮かべ、幸せそうに佇んでいる、成長した女性。
最期は、原爆症により、早くに亡くなってしまった。
被害を伝える手段がなくなる、ということは、歴史が風化されていくことであると、私は考えます。
風化され、化石化され、消え失せてしまう。
これも、講義で聞いた話です。
広島県にある、広島市立基町高校では、被爆者とともに、高校生が原爆の絵を描きます。
当時、カメラも何も、記録を残せなかった時代。
被爆者が見た、体験した、遺された記憶をもとに、絵として、遺す。
以下から見ることができます。
講義で聞いた話なのですが。
この絵を完成させるために、高校三年間の多くの時間を費やし。
被爆者との対話を何度も、何度も、重ねて。
何度も何度も、修正し、訂正し、完成させる。
鎮魂の絵。
途中で、諦めてしまう生徒も、少なくないそう。
途中で、亡くなってしまう被爆者も、いるそう。
風化をさせないこと。
記録に、記憶に遺すこと。
それでも欠落してくものは数え切れない。
しかし、繰り返してはならない惨劇と、実際に起きた史実。
遺して、思い出すこと。
今の時代に生きていられること。
カンマ数秒で、失われた命があること。
ひとつの爆弾で、今でも苦しむ命があること。
繰り返してはならないこと。
嘆きと悲しみの世界があったこと。
それを、忘れないこと。
また、いつかと言って。
いつかが来なかった人へ。
また、明日と言って。
明日が来なかった人へ。
いってらっしゃい、と伝えて。
かえってこなかった人へ。
May the world be at peace.